JFN系列27局ネット「MUSIC TIMELINE・音楽年表」の明日収録のゲストが小室等さん。対面です。何だか嬉しい。人に会ってないですからねえ。この前はいつだっけ。あ、手帳を見たら、そんなに前じゃなかったです。
先週、松本隆さんに会って話を聞いてました。先々週は、美里さんの事務所の社長さん、関野さんのインタビューもしてました。でも、”人に会った”という感じがしないのは、ライブがないからだと思いますよ。
配信ライブは、やっぱりライブとは思えない。そこに行って色んな人の気配を感じて世の中とつながっていることを実感するわけですが、そういう時間がない。どっか切り離されている。取り残されている感じがする。インタビューとライブはやっぱり違うんですよ。
話が逸れてる(笑)。明日の「MUSIC TIMELINE」で取り上げるのは「1971年」。サブタイトルは「中津川と出発の歌」。言うまでもなく第三回全日本フォークジャンボリーと世界歌謡祭でグランプリになった「出発の歌」ですね。
60年代のGSや芸能界の流れと違う関西フォークのアマチャリズムの限界が中津川だったでしょうし、メジャーへの道という新しい可能性を見せてくれたのが「出発の歌」だったと言っていいでしょう。その中心にいたのが小室さんでした。
恥ずかしながら、小室さんの存在価値、揺るがない志みたいなものを再認識するようになったのはこの10数年という感じなんです。若い頃って急進的なことや短絡的なことに目を奪われがちですからね。分かりやすいですし。
そういう点では小室さんはずっと大人でしたよね。そのことの意味、そのことの重要性みたいなことは、若い頃にはなかなか理解しにくいです。71年に「出発の歌」が世界歌謡祭のグランプリを取った翌年、紅白に出てるんですよね。
みんなテレビ拒否、紅白ナンセンスと言ってた時代。でも、今思えば、あの時代に紅白に出ると言うことがどれだけハードルが高い事だったかがよくわかります。あの後、フォーク系のミュージシャンから「小室さんは裏切った」という声もあったそうです。
拓郎さんが「結婚しようよ」の後に「商業主義に身を売った」と言われるその数カ月前。改めてどんなことを思っていたとか、聞いてみようと思ってます。生きる伝説ですからね。貴重な話になるでしょう。
初めて小室さんを見たのは1970年。新宿のアートシアターで見た「スパイ物語」。六文銭として、お芝居の最中にステージで生で歌ってました。すごいな、50年前だ。その後、文化放送の「三ツ矢フォークメイツ」の構成をやってましたからね。
1971年です。もはや一番古くて一番長く番組でお付き合いした人、と書いて自分でしみじみしてます(笑)。お天気もそんなに暑くなさそうです。というわけで、曲ですね。「雨が空から降れば」を。
まだレコードになる前に、生で聞いたんですよ。「スパイ物語」のステージで、常田富士男さんが公園のベンチで釣り糸を垂れてる場面で歌ってました。そういうことなんですよ。あの時、あそこで聞きました。それがなくなってしまいました。じゃ、おやすみなさい。