だからどうした、ということでもありますが(笑)。プリンターのインクが終わってしまってドンキに買いに行ったんです。そこの館内放送で流れていたのが米津さんでありました。何でしょうね、不思議というと変ですけど、そういうことかあと思ったわけです。
そういうこと、というのは「売れる」ということですね。8月に出て今、どのくらいなんだろう。100万枚は突破しました。色んなチャートの一位を入れると十何冠なんだそうです。記録的なヒットになってます。
今も昔も「100万」という数字は特別です。90年代に200万、300万枚という天文学的な数字が続出していた時は除きますけど、そこまで行くと、数字が独り歩きする。アーテイスト本人はもちろんメデイアやメーカーではコントロール不能になります。
という数字なわけですから、パチンコ屋で流れるとかドンキで流れるのも当然の結果ですよね。いわゆる”街鳴り”というやつです。街で流れている。ただ、それが米津玄師ということになると、若干複雑な気分になったりするわけです。
もし、AKB48とか、乃木坂46とか、ジャニーズだったら、そんな風には思わなかったと思いますよ。こういう言い方は語弊があるでしょうが、大量消費のための音楽、みたいなものでもあるでしょうから。
むしろ”街鳴り”が似合う、そういう音楽という感じになったと思います。僕の中では米津さんは、そういうタイプの音楽じゃないと思ってたんですよ。もっと内省的、文学的、哲学的、そして美的。決して”街鳴り音楽”じゃない。それがガンガンに流れてる。
簡単に言ってしまえば、すごい時代だなあ、という感じ。こういう良質な音楽がこれだけ流行る、売れるというのは良いことではあるわけですが、聞き手というか、若い人たちが、それだけシリアスになっているということもあるんでしょう。
米津さんの音楽の中の、世の中と折り合えないことを自覚した人間の痛々しいくらいの脱出願望、というか、自己否定願望みたいな渇望感。でも、深刻にならずむしろ、それを吹き飛ばそうとするリズム。それが今の若者の主流ということなのかな、と思ったりします。
でも、本人は、そういう形で自分の音楽が自分の手を離れて遠くまで行ってほしいと思ってるような気もしますし。場所がドンキだったから、余計色んな事を感じたのかもしれませんけどね。5年前と”売れる音楽”の質が一変したようにも感じました。
いずれにせよ、ライブの形や配信の使い方も含めて、今年が何かの分岐点になることは間違いないでしょうけどね。来年以降、どうなるんでしょうね。ということで、ジブリの「熱風」の原稿は書きました。どうにかこうにか、かな。
というわけで、曲ですね。米津さんの声の訴求力の強さ。ドンキの店内でも響き渡ってました。あの熱量というんでしょうか。どこか悲愴感もあって聞き手を駆り立てる扇情感もある。それは発見でした。「馬と鹿」。哲学的な歌ですよ。じゃ、おやすみなさい。