この間、神戸に行ったのは、松本隆さんにこの話を聞くためでした。92年に発売された「冬の旅」というアルバム。シューベルトの歌曲、つまり歌のある曲三部作の中で最もポピュラーな作品。これに松本さんが日本語詞をつけてます。
スタジオジブリの機関誌「熱風」に書いている「風街とデラシネ~作詞家 松本隆の50年」という連載の20回目、だったかな。そろそろ大詰めに差し掛かってます。88年に松田聖子さんとのコラボレーションにピリオドを打って以降になります。
あの連載は、「アルバム作家」としての彼の軌跡をたどるものなんですが、改めて彼の全貌、全体像の大きさに毎回驚かされてるんです。今まで気付かなかった、目が行き届かなかったアルバムがたくさんあります。
もちろん、僕らが知らない方が怠慢であり不勉強だったことは間違いないわけですが。「冬の旅」もそういうアルバムでした。まあ、しょうがないんですけどね。それまでクラシックは聞いてませんでしたし。
縁がなかった、というか、敬遠していたというか。他に面白い音楽がたくさんあった、というか。シューベルトも「菩提樹」くらいしか知らなかったんです。「冬の旅」は24曲あるんですが、初めて全曲聞きました。
無理して聞いている、という感じがしなかったのは、松本さんが書いた言葉が自然だったからでしょうね。何曲かドイツ語でも聴いてみたんですけど、全然違う。そういう意味では面白かったです。
松本さんはなるほどな、という話をしてくれました。彼が、はっぴいえんどで日本語でロックを歌い始めた頃、「何で英語で歌わないんだ」と批判を受けたのと同じようにクラシックの世界から批判されたというんですね。
音楽の中にある「こういうものでなければいけない」という保守性。松本さんの中の「日本語の可能性」に対しての真摯さを感じさせられました。過去の実績とか名誉とかではなく新しい冒険に向かう姿勢。彼の生き方。シューベルトの歌曲三部作全部に詞を付けてますからね。そんな話を書こうと思ってます。
今日は92年の「冬の旅」のディレクターの取材。もう退職されていてようやく連絡が取れました。そんなに暑くなくて助かりました。明日からまた30度超えのようですが。明日は氷室さんのファンクラブの会報誌の原稿です。
9月5日から大阪で氷室さんの展示会が始まります。僕もどこかで覗いてみようと思います。というわけで、曲ですね。シューベルト「菩提樹」。松本さんの歌詞で。じゃ、おやすみなさい。