エルビス漬けですよ、楽しいことに(笑)。特集の四週目と五週目の収録が明後日。今回に限ったわけじゃないですけど、あの番組はともかく時間がかかる。収録は1時間半もかからずに終わるんですが、一本の準備が丸々一日じゃ終わらなかったりします。
曲をどうするか。どういう流れにするか、それぞれの曲でどんな話をするか。エルビスが好きだった、と言っても50年前のことですからね。その頃と今とは情報量も違います。その頃に知っていたことなんて、今や常識以前。ネットで調べればあらゆることが出てくる。
知らなかったことばっかりですよ。え、そうだったんだ、ということでどんどん時間が経ってゆく。知らなかったことを知るのは楽しいわけですが、こんなことも知らないでやろうとしてるのか、という焦りに繋がってしまうわけです。
時間かかってますよお。昨日もやってましたからね。ようやく一週目、60年代編がまとまりました。「ブルーハワイ」以降ですね。今思えばエルビスの音楽的停滞期と言いましょうか。活動が映画に偏っていた。62年から69年まで年間3本の映画に出てるんです。
そういう契約だったんですね。マネージャーが有名なトム・パーカー大佐。メンフィスのローカルレコード、サンレコード時代にエルビスに出会って、メジャーに売り込んだ。そういう意味では育ての親。でも、今は悪名高い人になってます。
どんな風に悪名だったか。映画にこだわり過ぎた。スタジオ録音のアルバムは、ほとんど出てない。映画のサウンドトラックアルバムとベストアルバムばっかり。その映画も「恋と喧嘩と歌」というパターン。どんどんマンネリになっていった。
それが分かっても見に行ったのは、動いている姿を見る、歌っている姿を見ることが出来るのは映画しかなかったからですね。ストーリーは二の次で歌うシーンを待っていた、という感じ。僕が見ていたのは64年の「青春カーニバル」という映画までだったと思います。
高校から大学ですよ。社会的な関心も強くなってくる。ベトナム戦争が激しくなって反戦デモみたいなものが広がってくる。そういう中で、エルビスの映画はあまりに能天気に思えた。ビートルズも出て来たし、GSも社会現象になってきた。エルビスは「もういいか」みたいな気分だった。
それが変わったのは68年にテレビの「カムバックスペシャル」が放送された時ですね。黒のレザーの上下でシャウトしていた。「帰ってきたエルビス」という感じになりました。その後が、70年代の「オン・ステージ」ですね。
トム・パーカー大佐が「悪名高き」と言われるのは映画のスクリーンに彼を閉じ込めてしまったからですね。だって、61年から68年まで一回もコンサートをやってないんです。もし、60年代にもっと音楽を活発にやっていたら、歴史は変わったかもしれない、と思ったり。
エルビスは大好きですけど、神格化もしてませんからね。つまらなかった時もある。そんなことも率直に話してみようと思いながら台本を作りました。自画自賛的選曲です(笑)。明日は70年代編の構成。時間かかかりそうですけど(笑)。
というわけで、曲ですね。映画主題歌ばっかりだった65年にシングルで出た曲。浜田さんも好きな曲としてあげていたことがありました。「涙のチャペル」を。名曲です。じゃ、おやすみなさい。