鳥肌ですね。何かの拍子で肌がざわめいて ぶつぶつになることって、何を今更、ですけど。インタビューしていても時々、そういう瞬間があるんです。昨日、小山田壮平さんの話を聞いていて、そうなりました。え、そういう話になるんだ、という偶然の展開。思いがけなかったです。
小山田壮平さんが、元andymoriというバンドのボーカルでソングライター。2014年にバンドを解散して8月26日にソロデビューアルバム「THE TRAVELING LIFE」が出ます、という話は先日書きましたね。僕は初対面。どんな人なんだろうなあという始まりでした。
全く接点がないのに、何でインタビューをお願いしたかというのはもちろん理由があります。彼の名前を知ったのは2015年の松本隆トリビュートアルバム「風街であひませう」の時。彼は、松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」を歌ってました。
この人、誰なんだろう、というのが最初。その後に、オフィスオーガスタの長澤智之さんと組んだバンド、ALに好感があったからですね。で、アルバムの音を聞かせてもらった時に、友部正人さんを思い浮かべたということがありました。
70年代を代表するフォークシンガー。旅する詩人。声が友部さんを思わせたんです。キュートな友部さん、という感じ。アルバムも旅がテーマでしたしね。ひょっとすると、何か接点があるのかなあと思ったものの、時代も違います。小山田さんはロックバンドでしたからね。
それはもう直感ですね。アルバムの中、歌詞の中に、ちらちらとその頃の気配が見えるような気がしたんです。でも、いきなりそういう話をするのも気が引けますから、フラットにアルバムのことを聞いていたんです。
ところが、ですよ。何かの拍子に彼のお父さんの話になった。で、お父さんが フォークソングが好きだった。彼も子供の頃にそういう音楽を聴いてました。友部さんも知ってました。そればかりじゃないんです。思いがけない名前が飛び出したんです。
高石友也さんまでは想定内だったんですが、笠木透さん、という名前が飛び出しました。彼の曲を聞いていた、というんです。普通のフォークファンでは出て来ない名前です。メジャーでは活動しなかった。草の根フォークを歌い続けた人ですね。
ということもさることながら、69年に始まった中津川フォークジャンボリーを支えた人、当時、中津川労音の事務局長。生前、インタビューもしてます。NACK5の坂崎さんの番組の特番で「中津川フォークジャンボリー」のドキュメンタリーを作った時ですね。20年前です。
そういう人の名前が、まさか30代の元ロックバンドのヴォーカリストから出てくるとは思えない。え、という瞬間がありました。その時が「鳥肌」でした。彼も、まさか、自分のファーストアルバムのインタビューで、そんな人が相手だとは思えなかったでしょうからね。
始まる前の番組説明では、最近、こんな人がゲストなんです、という話をしたばかり。小山田さんの前がいきものがかりで、後があいみょん、ですから。今風な番組ですよ。そういう話になるとは夢にも思わなかったでしょう。
こういうことがあるから、インタビューは面白いんです。この人は、何か気になるな、とか、この音楽は何かあるよなあ、という直感の答えが出た瞬間。こんなこともあるんだなあ、としみじみ思ってしまいました。旅の話も面白かったです。
というわけで、曲ですね。小山田壮平さん、「旅に出るならどこまでも」を。じゃ、おやすみなさい。