仏壇、じゃなくてお仏壇。以前とは意識が違いますね。若い頃には想像もしなかった仏壇のある生活。もうすぐ始まります。今は、母の住んでいたところにあるわけですが、そこの整理は終わり次第、僕のところにやってきます。
長男というのはそういうことだというのは、漠然とは思ってましたけど、現実感はなかったですからね。実際にそうなると妙な感慨があります。何て言うんでしょうね。大人になった、というよりもっと老けた感じですね。
そういう育ち方をして来られた方はそんな風には思わないんでしょうけど。結婚したら女性は当然、夫の姓を名乗る、とか、男は仕事で女は家庭。専業主婦こそ女の幸せ、みたいな考え方だった方達。伝統的な日本的家族形態、というのかな。
若い頃はそういうことに反発してましたからね。古い風習、因習みたいに思ったこともありました。80年代のニューファミリーなんかもそういう形でした。「新しい家族」みたいな言われ方もしましたし。
もうそういうことじゃないのかなあ、という感慨でしようね。よく、自分に子供が出来て、初めて親の気持ちが分かった、という人は多いです。そういうことなんでしょうね。更に、親がなくなった時に自分の役割が分かる。
お墓というのも同じようなものなんでしようね。ここを守って行く、という発想は、自分がそうならないと実感はないと思いますよ。仏壇とお位牌とかね。中に何が入っているか、若い頃には見ようともしませんでした。
お位牌というのは、亡くなった方が、納骨が終わった時にそこに入る物なんだそうです。だから粗末に扱っちゃいけない。常識ですよね。この年になってようやく知りました。自分がいかに世間知らずで非常識なのかを実感してます。
普通の70代になった、こうやって収まっていく。身の丈になっているということなんでしょうね。だからと言って写経に走ったりはしませんけど。写経の代わりに音楽があるのかな、ってこじつけですね。
でも、水葬にするとか、山に散骨してくれ、という方は、そういう問題をどう処理されてるんでしょうね。先祖代々、みたいな発想は捨てられたんでしょうか。そういうものは途絶えてもいいんだ、と割り切られたんでしょうか。
お仏壇、結構大きいしお骨もある、置く場所がなくて、家の片づけが大変。今日も一日片づけ。普段からやらないといけないんでしょうけど、まだ終わってません。10年以上前の年賀状とか、心して処分させて頂いてます。
コロナで身の回りを断捨離した、という話をよく聞きます。”仏壇のある暮らし”。それが僕らの「新しい生活様式」なのかもしれません(笑)。曲です。拓郎さん、「大阪行きは何番ホーム」。”家を出たはずじゃなかったのか”。僕もそういう若者でした。じゃ、おやすみなさい。