湯灌。遺体を入浴させて綺麗にお化粧すること。16年前に父がなくなった時にも行ったんですが、その日だけどうしても動かせない仕事があって、僕はいられなかったんです。今日、初めて立ち合いました。
母が暮らしていた部屋で行ったんですが、かなり感動的でした。遺体が見違えるようになりました。顔を剃ったり、髪の毛に櫛を入れたり、ほんとに風呂上りのような血色になって眠っているみたいに見えました。
身をきれいにして黄泉の国への旅立ちの衣装に着替える。ひとつひとつの行為に理由がある。なくなった人に対しての畏敬の念の表われ。今、調べたら、江戸時代からあるんですってね。仏教とともに中国から伝来してきたんだそうです。
連日世界で数万人という人が命を失ってるという中で、そんな風に納棺出来たことは感謝しないといけないなあと思いました。家族や親族、友人と別れの場も持てない方がたくさんいらっしゃるわけですもんね。
しかも、ここ数日の水害。特別養護老人ホームで全員がなくなるという悲報もありました。同じ時代に生きて、同じような年を重ねて、天と地のような最後を迎える。人の一生の悲喜こもごも。99才の大往生の意味を改めてかみしめてます。
明日、みゆきさんの「夜会・VOL20・リトルトーキョー」が、やっと映画館で公開されることについてのリモート取材を受けるんで、DVDを見直してました。コロナの前に見た時と印象がずいぶん違いました。
もう戻れない、あの頃には帰れない。命あるものに終わりがあり別れがある。悲しみを超えて新しい道を行く。みゆきさんの歌は、こういう状況に響くということを改めて感じました。
この間もみゆきさんの曲、でしたね。あれは偶然。「リトル・トーキョー」の中の「放生」という歌を。じゃ、おやすみなさい。