香港、大変なことになってしまいました。北京政府に対して反発する人たちが一網打尽に出来る。呆然とするような法律が出来ました。しかも法律でありながら条文も公開されていないし、どういう解釈をするかは全部北京政府が決めるんだそうです。
今日は、香港の返還記念日。この日に合わせたように制定された。暗い気持ちになるのは、このコロナの最中に行われたことですね。感染対策で人が集まれないのをいいことに反対運動も禁止してしまった。
コロナの非常事態が、今後の世界の在り方を変えるというのは、すでに様々な形で語られてます。今更、僕が書くようなことじゃないのかもしれませんが、こうなったら悲惨だなあと思っている方向に進むのかもしれないなという嫌な予感がするんです。
これも色んな形で語られてますけど、コロナの発生源でありつつ、一定の立ち直りを見せている中国は、強権的な管理主義的全体社会。対して、日々感染が深刻化している国の多くが、自由主義国家。その感染状況があまりに対照的ですからね。
感染予防のためには個人よりも全体をどう管理するかが重要、みたいな議論が主流になってしまうかもしれない。この後の世界の力関係が中国のような全体主義がに向かってゆくのかもしれない。そうならなければいいのになあ、とずっと思ってるんです。
そうなった時には、個人の自由は制限され、行動や発言も監視されるようになってゆく。スターリン時代のソ連みたいになってゆく。密告と粛清の世の中が来るかもしれない。今日発令された「国家安全法」というのはそういう法律に思えます。
共産党に対しての批判は取締の対象になる。思想の自由も表現の自由も存在しない。100人の人間がいれば100通りの考え方があってしかるべきです。中には政府と違う人もいるでしょう。それが許されなくなる。
音楽でも映画でも小説でも自由が前提です。それがないところで政治的な立場が先行するものは「プロパガンダ」。「政治的宣伝」にすぎません。香港は、世界の映画人も多く出てます。もうそういう街ではなくなるでしょう。
ただ、1997年に香港中国に返還された時は「良かったな」と思ったんです。植民地支配というのはそれぞれの国や民族の自由を奪うことですからね。だから、北京政府が「香港は中国のものだ」というのは筋が通っているわけです。
それでいて、香港に住んでいる人の「自由」を奪う、というのはどういうことなんだろう。「自分たちのものだ」ということと「自由にさせない」というのは矛盾しないのか。こういう形での「返還」だったとしたら、香港の人たちも「返還」を希望したでしょうか。
コロナで疲弊する世界につけこむみたいに自分たちの支配を強めようとしてるようにも見えますし。コロナが収まった後にどんな世界がやってくるのか。まあ、そこまで生きてないかもしれないですけど(笑)。
台湾の人たちが「今日の香港は明日の台湾」と言ってましたけど、「今日の香港が明日の世界」にならないことを願うばかりです。曲ですね。クレージーケンバンド、「スージー・ウオンの世界」。「1997年」が出てきます。でも、こんな状況になるとは横山剣さんも夢にも思わなかったでしょう。じゃ、おやすみなさい。