ライブに行きました。ライブがありました、かな。行きたくても行けない状態が続いてましたからね。あったから行けたわけです。2月1日に福岡サンパレスでみゆきさんのツアーを見て以来。ほぼ5カ月ぶりですよ。
こんなにライブ会場と縁がなかったのは、この仕事をするようになって初めて。どっか不思議な気分でした。まず入口の列が長い。前の人との距離を空けないといけない。そして、消毒と検温。隣の席は無人です。客席の扉も開いてました。
登紀子さんの挨拶も「大きな声で歌えません」「歌は心で歌うものです」とか多少、苦笑いも浮かべつつでした。でも、こういう中でお運び頂いたことを心から感謝します、と言った時にはかなり極まっているように見えました。
生音、沁みました。楽器の音が伝わってくる。歌っている人の微妙な心の動きが声に出ている。コンサートが進むに連れて歌に感情が乗り移ってくるのが判る。ライブは生き物ということがひしひしと感じられる。
彼女は学生時代にシャンソンコンクールで優勝してプロになったんですが、そこから55周年。そのこと自体が稀なことですけど、今年のこの状況ですよ。まさか、こんな中で歌うようになるとは、というのは実感でしょう。
聞いていて、ふっと思い出したのが、昔見た「グレンミラー物語」。この映画のことは前にも書いた気がしますけど、あの映画の中の第二次世界大戦のヨーロッパで空襲の下で演奏するシーンでした。
ありえない環境で歌っているという感じが共通するように思えたんでしょうね。そう思わせたのも客席の拍手。あの響き。いいもんだなあと。無観客でどんなに素晴らしいライブをやっても、あの音は聞こえないでしょうからね。
何だろうな、だからと言って拍手が良かった、ということだけでもない。彼女の熱唱、絶唱も感動的でした。「愛の讃歌」は、涙が出てしまいました。彼女の「愛の讃歌」は、岩谷時子さんの詞ではありませんからね。
”もし、空が裂けて 大地が崩れ落ちても””終わりのない愛を 生き続けるために”という原詩に近い内容。そういう”世界の終わり”的な張り詰め方が歌に乗り移っているように思えました。
客席の扉が開いていようと、客席が半分使われてなくても、大きな声で歌えなくても、歓声を上げられなくても、始まってしまえば気にならない。そこにお客さんがいて、拍手が響いてこそなんだ、と再確認させられた夜でした。
今日の東京の感染者数は60人。じわじわとまた増えてます。こういうライブすら出来ない状況がまたやってくるのかもしれません。あんなライブもあったよね、と笑って話せる日が来ることを。曲ですね。加藤登紀子さんの「愛の讃歌」。じゃ、おやすみなさい。