ということで「音楽雑誌遍歴」その4は「月刊カドカワ」。昨日の話にも出て来てました。もちろん版元は角川書店。83年創刊で98年廃刊。15年間続いたんですね。でも、創刊した頃は全くの文芸時。表紙も上品なイラストで音楽色は皆無でした。
音楽誌になったのは、編集長が見城さんになってからですね。そう、今や出版界のカリスマ。彼が文芸誌に音楽を取り入れる形でリニューアルしたところから始まってます。僕が初めて書いたのは、見城さんになる直前だったと思います。
最初は見開きのコラムだったんじゃないかな。85年8月の尾崎豊の大阪球場のライブのことは書いた記憶がありますね。見城さんになったのは、その後くらいでしょう。そっから「月カド」時代が到来しました。改めて一番たくさん書いたのは「月カド」じゃないかという気がしてますね。
先日書いた「パチパチ」は、音楽誌のビジュアル化。「月カド」は、対極的に活字に特化しようとした。音楽記事の「読み物化」。画期的でした。普通の音楽雑誌のような一問一答のインタビュー形式じゃなくて、モノローグ。読み物としてのインタビューでした。
それと徹底した特集形式。「パチパチ」も巻頭特集には30頁、40頁裂くのは普通でしたけど、写真メインでしたからね。「月カド」は読み物の総力特集。「パチパチ」などの音楽誌が女子中高生中心になって受け皿のなくなったシンガーソングライターがこぞって登場してました。
インタビューで多かったのは、浜田さん、CHAGE&ASKA、槇原さんかな。色々やらせてもらいましたけど、その人たちは割と「担当」みたいになってました。でも、ほとんどのライターが書いてましたね 「月カド」で書いてれば一人前みたいな空気もありました。
出る側にもそういう意識があったと思いますよ。特集の前半がアーテイストで後半が作家。音楽メイン。気分が悪いはずがない。「格」が上がった、みたな優越感もあったでしょう。登場してない人の方が少なかったと思いますよ。
実は、80年代半ばから90年代前半までほとんどのバックナンバーが仕事場にあるんです。これが今でも役に立ちます。モノローグインタビューも音楽だけの話じゃない。生い立ちとか音楽をやる前の事とかも話してる、その一方で年表とかデータも豊富です。
昨日の美里さんの時も参考にしてしまいました。というか、それにこだわりすぎてしまったという反省もあります。ネットの情報みたいに単に量が多いだけで拡散しっぱなしという感じじゃない。こういう雑誌があればなあ、とまだどっかで思ってます。
長い記事書かせてもらったんです。400字詰め原稿用紙50枚というライブレポ―ドのシリーズを書いた記憶がありますからね。女性ばっかり。みゆきさん、ユーミン、矢野顕子さん、プリンセスプリンセス、REBECCA、中村あゆみさん、そして、昨日の美里さん。
あんなことを書ける雑誌は、当時も今もありません。そういう下地があったから「陽のあたる場所」も「ON THE ROAD AGAIN」も生まれたわけですが。「月カド」の編集者は、石原さん。見城さんが立ち上げた幻冬舎の創立メンバー。当時はロック好きな文学青年、学生みたいでした。
音楽雑誌、もう時代遅れなのかなあ。そうは思えないんですが。そういう雑誌を作ろうと言う編集者がいなくなってしまった。というだけじゃないか。まあ、SNS時代ですからね、僕らが考えても始まりません。
というわけで、曲ですね。浜田さんの「陽のあたる場所」を。「月カド」がなかったら僕の本も生まれませんでした。あの雑誌があって良かったと思います。じゃ、おやすみなさい。