「パチパチ」という音楽雑誌があったんですよ。ついこの間までありました。休刊したのは2013年の10月かな。さすがにもうその頃はお付き合いはなくなってましたけど、2000年代の前半くらいまでは何度も書かせて頂きました。
JFN系列で放送している「MUSIC TIMELINE・音楽年表」という番組があるんです。4月から始まってます。放送は各局によって違います。26局ネットかな。一番多いのが、月曜日の深夜じゃないでしょうか。早朝4時という局もありますね。
日本でFM放送が始まったのは、1969年。それから50年余り。その50年の中の一週を毎回取り上げて、音楽シーンではどんなことがあったのか、どんな曲が流行ったのかを時にはゲストを招いてたどって行こうと言う60分番組です。
で、金曜日に収録したのが「1984年」。そのゲストが「パチパチ」創刊編集長の吾郷輝樹さんでした。リモートで行ったんですけど、回線の状態がよくなくて1時間遅れ、結局、リモートを諦めて、電話収録になってしまいました。
今、あちこちでリモートを使ってるんで、集中するとトラブルみたいですね。顔は見えているのに声が聞こえないとか、その逆とか。スタジオの音声も使ってるんで余計煩雑になったみたいです。ゲストの方にはご迷惑をおかけしてしまいました。
で、「パチパチ」です。何で「1984年」のゲストだったかというとこの年に創刊されたからですね。それまでの音楽雑誌とは違うスタイルで新しい音楽雑誌の時代を創りました。その創刊の編集長ですね。久しぶりでしたよ。20年以上ぶりだったと思います。
「パチパチ」創刊のきっかけになったのがチェッカーズでした。84年の1月に「涙のリクエスト」が大きかったと言ってましたけどね。吾郷さんが副編集長をしていた「GB」では、扱いにくかった。「GB」はニューミュージック系が多かったですからね。
だったら、新しい雑誌を作ろうということで始まった。ちょうど、チェッカーズの後に尾崎豊や吉川晃司もデビューしてきた。それぞれビジュアル的な個性が強くて、従来の音楽雑誌とは違うものが出来る、という勝算もあった。
明らかに、他の雑誌と違ってましたもんね。写真だけじゃなくて読み物も面白かった。テレビには出ないけど音楽雑誌には特写した写真が大々的に出るという現象が生まれました。時代にマッチしたんでしょうね。
84年、色んな人がデビューしてますからね。TM NETWORKやREBECCA、プリンセスプリンセスの前身の赤坂小町、中村あゆみ。85年になると渡辺美里、BOO/WYの本格登場もありました。そういう人たちの勢いがそのまま雑誌のエネルギーになりました。
まだ仕事場とか家のグルニエに当時の音楽雑誌がいっぱい残ってるんです。単に整理してないだけですけど。でも、80年代半ばから10年間は一番影響力がありましたね。僕は少し年齢が上でしたけど、「パチパチ」に書くのは結構力が入ってました。
そう、思い出しました。「パチパチ」にKという女性初の副編集長がいたんですけど、彼女に「還暦になってもパチパチに書いているのが夢だよ」と話したことがありますね。あれ、いつだろう。50代に入った頃かな。
98年と2001年にGLAYのことを書いた本を出してるんですが、毎月連載みたいに書いていたのが「パチパチ」でした。その頃でしょうね。98年のGLAYの「pure soul」ツアーは、「パチパチ」にツアーのおっかけ記事を書いてました。
音楽雑誌、壊滅ですからねえ。今もいくつかありますけど、当時の勢いもエネルギーもないですね。一番売れているという「ロッキング・オン」も会社自体がイベント制作会社みたいに見えますしね。時代が変わった、と言えばそれまでですけど。
音楽雑誌世代、というのはあるんだと思いますね。出る方も作る方も、見る方もですね。でも、80年代は楽しかったな、と最近、とみに思うんですって、これなんです。ライブがないとどんどん思い出話になってゆく。こうやって老け込んでいくんだろうなと、あ、とっくに老けてるか(笑)。
「MUSIC TIMELINE・音楽年表」は、ご無沙汰している人たちへのお礼参りみたいな番組になりそうです(笑)。というわけで、明日の原稿もGLAYのインタビューのまとめ。インタビューのテープ起こしが難関です、ということで曲ですね。
全然80年代じゃないですけど、back numberで「思い出せなくなるその日まで」。単なる思い出つながり。”私の半分は音楽雑誌で出来ていた”って、そこまでじゃないか(笑)。じゃ、おやすみなさい