ひょっとしたらとは思ってたんですが、やっぱり無理でしたね。もうどのアーテイストのツアーも壊滅状態なわけで、断腸の想いなのは、誰もが一緒だとは思うのですが、その中でも特別なずっしりとした重みを感じているのは僕だけじゃないでしょう。
そうか、ここまで来てるのか、浜田さんすら出来ないのか、という危機感。そんな風に感じるのは、このところ「ON THE ROAD2011~The Last Weekend」について触れる機会が多かったせいもありますね。
あの年に「やる」という選択をしたのも、ツアー、ライブに対しての使命感あってこそだったでしょう。本質的な意味で、自分にとっては「やる」ということ以外にないということを知っている。右へ倣え的な同調的自粛は絶対にしない人たちですよ。
それは、聞き手に「楽しんでもらう」ということが前提で、そのために「やる」という選択があるわけですから、そういう状況にない。「やる」ことが「楽しめない」状況を生み出しかねないのだとしたら、本末転倒になってしまう。そういう意味ではこの状況の中で「やる」という選択肢は、どう見てもありません。
念を押しますが、「やる」ことを選んでほしかった、ということじゃないですよ。「やってほしかったなあ」みたいなことではもちろんありません。何でしょうね。もっと広い意味で今年の後半に持っていたかすかな望みが絶たれた、みたいな感じですね。
60年代に「9月になれば」というアメリカ映画があったんです。サンドラ・デイーという女優さんが出てました。あの映画のタイトルみたいな気分だった。9月になれば何かが変わる、そこまでいけば、違う日々が待っている、みたいな漠然とした希望。色々大変な事が続いたけど、やっと落ち着いたね、みたいになるといいなあと思っていたわけですが。
ライブがない、という生活が、どんなに単調で世の中から取り残されてゆくような気がするかは、2月以降、ずっと感じてきたわけですし。やっぱりダメか、みたいな突き放されたような感じ。今年は、もうライブがないのかもしれないという予感が現実になりそうです。それを思い知ったということかな。
この先、どうするんだ、みたいな気分。コンサートスタッフも含めて業界自体が大丈夫なんだろうかとも思いますし。来年、状況が好転して、さあ、という時に、現場で支える人たちがいなくなっていたみたいなことにだけはならないでほしい。
その日が来るまで、我慢するしかないのか、という溜め息。僕もそんなに先が長いわけじゃないですしね。とか言っててもしょうがないわけですけど、我慢するしかない。ということで、80年代の後半戦ライブは、来年、になるんでしょうか。
粛々と与えられた仕事をする。ありがたいことに音楽について「書く」ことや「しゃべる」ことは求められているわけですから、そのことに感謝しつつ思い残すことがないようにやって行く。そういう後半になりますね。熱中症に気を付けながら。
マスク、しんどいです。人の少ないところでは外すようにしてますが。ライブよりも自分の健康ですね。そんなことも思い知らされる夏になりそうです。というわけで、曲ですね。何でしょうね。僕らに「栄光の時」は来るのだろうか。浜田さん、「MAINSTREET」を。じゃ、おやすみなさい。