緊急事態宣言、延長になるんですね。まあ、そうなるだろうし、そうならざるを得ないだろうとは思ってましたけど、これがもう一か月続くと耐えきれない人たちがたくさん出てくるでしょうね。
僕らはもう社会の第一線という年齢ではありませんし、現場を担っているという立場でもなくなってます。仕事も日ごろから在宅みたいなもんですし、さほどのダメージは感じないで済んでます。
でも、飲食業とか店舗営業をされている仕事の方は日銭が入ってこなくなるわけですしから、お手上げ。契約社員とか非正規雇用の人たちは、どこにも助けを求められない。お先真っ暗にでしょう。
そういう経済的な影響は、もちろんあるわけですが、そういう面とは違う意味での深刻なのは、このウイルスによって”できなくなること”なんだと思うんです。”やってはいけない”こと。感染を広げないようにする”三ない”行動ですよ。
集まれない、語りあえない、抱き合えない。どれも”濃厚接触”につながってしまう。人と人が判りあう、親交を深める、愛情を確かめ合う。その基本とも言える行為が禁止されてしまう。これが何よりもつらいと言っていいんじゃないでしょうか。
ペストとか天然痘とか、スペイン風邪とか、今までいろんな感染症があって、人間はそれを乗り越えてきたんでしょうけど、今、生きている人たちにとっては未経験の病気なんだと思うんです。
少なくとも20世紀以降というのかな、僕らが知っている世界史、あるいは倫理や哲学でも何でもいいんですが、人と人が争わないためにすべきことが、その三つだった。
そんな大げさな道徳的なことじゃなくても、日ごろ楽しいことというのは、その三つに支えられていると言っていいのかもしれません。それが感染につながるというわけですから。なんて非人間的、非人道的な病気なんだろうと。
と書いてから、ふっと思ったんです。そういう行為が感染を呼ぶということはコロナウイルスは、そういう行為が好き、ということになるのかもしれません。何なんでしょうね、このウイルスは。
もし、人を死に至らしめるというウイルスじゃなかったら。それはウイルスとは言わないのか。もし、このウイルスに感情があって、本当は人間が大好きで仕方ないんだとしたら、どうなんだろう。
自身の感情とは無関係に人の命を奪っている。誰かにそういう風に作られてしまったんだとしたら、悲劇のウイルスということになるのかもしれませんがって、そんなこと考えている場合じゃないですけど。
ともあれ、このウイルスに死んでもらわないと僕らが生きていけないわけですから。世界中の医療関係者、科学者の総力を挙げて頂くしかありません。そういう意味では戦争より厄介ということになりそうです。
戦争は敵がはっきりしてる。爆弾が降ってくるにしても銃弾が撃ち込まれるにしても防ぐ方法はあるでしょう。対策もとれる。でも、ウイルスは見えない。しかも、人間が人間である基本のコミケーションを不可能にする。
ただ、一番身近な人と信頼し合う。その人を守らなければいけない、ということで言えば、誰もが忘れかけていたことを思い起こさせてくれているのかもしれません。うーん、何を書いているか分からなくなってきた。
大した根拠はないんですけど、これで「戦後」が終わるのかな、という気がしてるんです。第二次世界大戦の後、世界の人たち、特に日本かな。そういう戦後民主主義的な考え方が終わろうとしている。
そうやって考えると、東日本大震災よりも、大きな転機になるような気もしますし。この後、どうなって行くんだろう、と思いつつ、まずは自分が無事でいることを考えないといけない。誰もがそうでしょうけど。
曲ですね。戦後ね。東京は焼け野原でした。今、世界中が焼け野原みたいになってます。そんな銀座を舞台にした曲。今年おなくなりになった、宮城まり子さんのヒット曲「ガード下の靴みがき」。こんな東京にならないことを祈って。じゃ、おやすみなさい。