何だか一日が終わるとぐったりしますね。まあ、最近は年のせいもあって、疲れが取れなかったり思ったより疲れていたりというのが日常ではあるんですけど、それだけじゃないです。もう書くまでもないでしょうけど、無事だった、という感じかな。
毎日同じこと書いてますけど、しょうがない。こういう日々なんですから。ほっとしたようなぐったりしたような気分でニュースを見て、今日は何人だったと感染者の数を確かめる。みなさんそうなんでしょうけどね。
一日仕事場にいて、夜は総菜を買いに電車で17,8分。8時までやっている西友ストアに行って、というだけなのに。お店の入り口で消毒して、レジが終わってまた消毒して。そういうのが気疲れになるのかな。
でも、レジの人は大変そうでしたねえ。一人の支払いが終わるとその人が品物を置いていたところとかをすぐに消毒する。もちろんゴム手はしてました。レジ待ちの列が一人2m空いていて、多少時間の余裕があるから出来るんでしょうね。
あの人たちも一日終わるとぐったりでしょう。あれだけの人と応対して、いつ自分に降りかかってくるか分からない。それこそ「無事だった」という感じなんだと思いますよ。そうやってみんな戦ってる。
その先頭に立っているのがお医者さんたちであることは言うまでもありませんけど。日本の人口1000人あたりのお医者さんの数は、OECD加盟国35か国中30番目なんですってね。そんなに低いんだ、という感じ。そういうデータを見るとますます悲観的になってくるわけですが、その話はいいか。
で、福山さんの「東京にもあったんだ」。2007年のシングル。2005年にも「東京」という曲があって、その続篇。「東京三部作」の三作目でもありますね。18才で上京してきて20年。ようやく東京を歌えるようになった、という曲ですね。
福山さんを初めて見たのが、二回目の新宿パワーステーション。やりたい音楽は伝わるけど、イメージは出来上がってるのに過ぎてて現実が追い付いてないなあ、という印象でした。でも、ひたむきな感じがしてて好感を持ちました。
ライブはその後も見てたんですけど、初めてインタビューしたのは4枚目のアルバム「BOOTS」の時かな。「約束の丘」が良いなと思った記憶があります。シンガー・ソングライターだなと思えたんでしょう。
青くささが魅力的だった。音楽のタイプは浜田さんの流れですし。と言っても最初はそういう情報もありませんから、直感だけですよね。しばらく時間が経ってから、そうだったんだ、と自分で納得する。それは福山さんだけに限りません。
今やスーパースターですから、最近はインタビューの機会はなくなってしまいましたけど、実を言うと「龍馬」に出るまでは、音楽に専念すればいいのに、と思ったりしてたんです。あのドラマで認識が変わりました。大河ドラマを録画して見てたのは、後にも先にもあれだけですね。
バイクを売った20万円で夜行列車で上京してきた。音楽をやるというのは恥ずかしくて友人には「古着屋になる」と言ってた。最初の仕事は福生の材木屋じゃなかったでしたっけ。間違ってたらごめんなさいですけど。
25周年のライブでその頃のことが映像になってましたよね。東京といってもかなり外れの方。「東京」で、”涙や素顔は見せちゃいけないと思ってた”と歌っているのは本音だったんでしょう。
それが「東京にもあったんだ」になった。”こんなにきれいな空があった”としみじみ思えるようになった。成長というのはそういうことなんでしょうね。それまで気付けなかった、気付こうともしなかったことが自然に分かってくる。
「東京」をこんな風に歌うなったんだ、と思いました。住まないと分からないことであり、地に足のついた住み方をしている。福山さんの中でこの曲と「家族になろうよ」は別格じゃないでしょうか。
ねえ、在宅勤務。外出自粛。今まで気付かなかったことに出会えるといいですよね。外出禁止や工場の休業でヨーロッパや中国の空気がきれいになっている、という情報もありますし。これがいつまで続くか分かりませんが、何か新しい「あったんだ」が待っていると信じたいです。
というわけで、明日はまとめて外出、歯医者さんと番組の収録。東京が新鮮に思えますように。今日の曲です。千葉出身、BUMP OF CHICKEN「東京賛歌」を。じゃ、おやすみなさい。