今日、寒かったですねえ。10℃をちょっと超えるくらいじゃなかったでしょうか。真冬に着るセーターやコートは洗濯に出てるんで、応急的な恰好しか出来ない。暖かいのか寒いのか分からなくって風邪ひいてるんじゃないかと思ったりでした。
それにしても電車も街も空いてますよ。拍子抜けするくらい。今日のスタジオは、平河町。駅は永田町が一番近い。僕は赤坂見附から歩いたんですが、人影がほとんどない。肌寒い小降りの雨が余計に冷え冷えと感じました。
歩いている時に、ふっと国会議事堂が見えたんです。あの石造りの三角形の屋根、というのかな。道路越しに見えたんですが、不思議な感じだったんです。車も人もいなかったせいかな。妙に近く感じた。存在感がありました。
大昔、50年前か。デモに加わった時に、「あれが国会か」と思ったことがありましたけど、騒然とした中でしたからね。あういう感じじゃなかったです。何だか写真を見ているようでした。
今、あそこに日本の岐路が託されているんですもんねえ。僕らにとってはあそこと新宿の都庁か。都知事の方が総理大臣みたいに思えたりしますけど。政治家の言葉がこんなに重要なのか、と思わされる日々でもあります。
そう、都庁ですよ。話がつながりました(笑)。1983年8月、今、都庁が経っている一角で甲斐バンドの野外コンサート「THE BIG GIG」が行われたんですよ。彼らにとっては、箱根芦ノ湖畔、大阪花園ラグビー場につぐ三度目の野外でした。
まだ、京王プラザと住友ビルくらいしなかったんじゃないかな。都有5号地。都心のど真ん中の野外ライブ。画期的でした。「東京の一夜」は、76年に出た3枚目のアルバム「ガラスの動物園」に入ってる曲で、そのライブで歌われました。
「ガラスの動物園」は、良いアルバムでしたね。「男と女のいる舗道」とか「新宿」という曲もありました。「ガラスの動物園」というのは、有名なテネシー・ウイリアムスの戯曲。でも、「東京」という街のことのように聞こえました。
”東京の一夜はこの街で過ごす一年のよう”という歌詞がリアルでした。時間の速さとその密度。男性は上京して女性は「この街」に残る。「僕は僕だけの道を歩こう」とした男性と「僕だけのために生きよう」とした女性の両方の歌でした。
甲斐バンドは福岡出身。あの頃と今とは、東京も変わりましたけど、福岡もあの頃とは天と地ほどの違いがありますよ。今、日本で一番元気な街が福岡だといつも思います。今年の1月にみゆきさんのツアーで行った時もそう思いました。
それなのに、ですよ。福岡も緊急事態宣言。福岡から東京に出てくることも東京から福岡に帰ることもままらない。そして、あの時「東京の一夜」が歌われた場所に立っている都庁は、対コロナの最前線で戦っている2020年です。
九州から上京した人、たくさんいますねえ。福岡の隣、長崎から来た人、福山雅治さん。「東京にもあったんだ」を。好きな歌です。明日は仕事場です。出かけないで済むと思うと、何だかホッとします。じゃ、おやすみなさい。