何だか、知らないところで感染が進んでるんだなあ、と思わされることが色々起きてますね。何気ないやりとりの中で「実は、あの人がコロナでなくなったんだよ」とか言われてびっくりしたり。放送業界も危機感は日に日に増してるみたいです。
TOKYO FMの達郎さんの番組もニッポン放送で始まった拓郎さんの「オールナイトニッポンGOLD」も自宅からの放送でしたしね。ああいうアーテイストの方々は、自宅に録音機材とかあるわけですから手軽に出来てしまうでしょうけど、僕らはそうは行きません。
特にゲストが入る番組だと、相手の方にもご足労頂くことになるわけですし、ご心配もおかけすることになります。一人でやれる時は出来るだけ一人で、ということになりそうです。スタジオで、ですけど。
今日、歯医者さんに行ったんですが、完全防備でした。受付で検温はありましたし、いつもは靴を脱ぐところもそのまま。靴にビニール袋をかけてそのまま椅子にも座るんです。病院の開閉式のドアの取っ手にもビニールがかかってました。
みんなが触る場所、というのを出来るだけ少なくしてるんでしょうね。接触感染が一番怖い。電車のつり革、トイレのドア、エレベーターの階層ランプ、バスの降車ボタン、どれも素手では触らないようにしてました。電車の中で手袋をしている人もずいぶんいました。
でも、やっぱり人は少ないです。歯医者さんは、日比谷と丸の内の中間にあるんですが、一帯はゴーストタウン。ほとんどテレワークなんでしょう。ああいうところにある企業は、そうしたシステムも体制も整っているんだと思います。
新聞社でもそうみたいですからね。出来るところからやってゆく。出勤、という縛りがなくなっただけで新しい発見もあるはずで、テレワーク、在宅仕事というのをネガテイブに捉えない方がいいんじゃないかなとも思うわけです。
”会社”という場所と”仕事”というのは、必ずしもイコールではないと思うんですね。”会社”に行くことが仕事になってしまうことがいいことなんだろうか、と”会社”のない僕らは思うわけです。半ば、ひがみ根性もありながら、ですけど(笑)。
とは、言え、ですよ。単純に「8割減らす」という発想にはものすごく抵抗があります。単に人数だけの問題なのか。そんなに機械的に割り切れるのか。在宅では出来ない仕事も一杯あるわけで、どういう仕事は「行かないで」出来るか、どういう仕事が「行かないと」出来ないのか。
今、コンピューターで業種や事業形態で従業員数とかすぐに分かるでしょうし、それをはっきりさせて、こういう業種は在宅にしてください、こういう仕事は会社や現場に行ってやってください、それぞれこのくらいの人数になれば大丈夫です、とかね。
時間を持て余している学生は、感染の有無をちゃんと調べて、人出が不足して困っている業種に応援に行ってもらうとか。在宅で出来ない仕事が一番大変なんだと思うんですよ。そういう人が後ろめたい気持ちを持たないようにするのも大事じゃないでしょうか。
ともかくみんな家にいろ、出かけるな、という要請だけで、八割行った、行かなかった、と言ってるのは不毛な気がしてしょうがないです。そのうち、八割行かなかったら罰則、とか言いかねない。在宅にしろそうじゃないにしろ仕事をすることに罪悪感を持たせちゃいけない気がします。
気持ちの良い在宅ね。槇原さんの「東京DAYS」は、そういう歌です。2004年のアルバム「PHARMACY」の中の曲。彼は35才か。インタビューで「早く40代になりたい」と言ってましたね。上京してプロになって、成功もして、東京の生活が楽しくなってきた頃でしょうね。
歌詞の中に「半透明のゴミ袋」という言葉が出てきます。「半透明のゴミ袋をかかえて星空に口笛を吹く」。「ごみ袋が出てくる歌は、この歌くらいでしょう」と嬉しそうだったのを覚えてます。ゴミ袋を出すことが苦じゃない、口笛も出る在宅仕事でありますよう。
さて、明日はスタジオでインタビュー取材。マイクがアクリル板で仕切られていることを祈って。曲です。神奈川県出身のアーテイストの曲、いきものがかりの「東京」を。じゃ、おやすみなさい。