何とか、終わりました。昨日、今日、結構ハードでした。今日は「MUSIC TIMELINE・音楽年表」の収録。「1989年」と「2000年」。”美空ひばりとバンドブーム””バンド新時代とラブサイケデリコ”という二週間。昨日、台本を書いたんですが、明日も収録がある。
明日はFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の4月後半。近藤雅信さんの二週。彼が90年代の後半に東芝EMIからワーナーに移ってからの話。コブクロとか坂本龍一さんとかエレカシ。相当たる顔ぶれが登場します。
二週目が、彼が今マネジメントしている岡村靖幸さんの新作「操」の話。この台本も今日中ですからね。今日の収録の前後も台本。岡村靖幸さんのことを色々調べてました。この話はまた改めますが、今、書き終えて送ったところです。
困ったのは場所ですよ。収録がTOKYO FMなんで、半蔵門とか四谷あたりの喫茶店に早めに行ってやろうかなと思ったら、すごいですよ。喫茶店、どこも開いてない。スタバ、サンマルコカフェ、ドトール、全滅。収録が終わったら、食事が出来ない。
緊急事態ですから、仕方ないんでしょうけど、ストレス、溜まります。明日の収録は、今日みたいにはならないでしょうけど、渋谷ですから、喫茶店はだめでしょうね。ということで、一段落したところです。で、小室さんだ。
東京を歌った曲はやまほどありますけど、アルバムタイトルを「東京」にしたのは小室さんが最初じゃないでしょうか。発売は1973年。レコード会社は、キングベルウッド。72年、73年って、東京脱出がブームになった最初の時期だったと思います。
60年代の高度成長に地方から上京してきた人たちが、一旦立ち止まった時。学生運動の敗北感や挫折感で東京を離れて田舎に帰という若者が増えた。そして、地方の時代が始まって”Uターン”という言葉が積極的に使われるようになった。
デイスカバー・ジャパンというのもありましたし。東京にいるのはカッコ悪い、みたいな風潮が生まれた中で、下町生れの小室さんが「ぼくはここに残るよ」と歌ってます。作詞は、詩人の白石ありすさん。拓郎さんの「伽草子」を書いた人ですね。
「僕は残るよ」という感覚。今、どんな風に聞かれるでしょう。今は、地方から「来ないでくれ」と言われてますけどね。猫も杓子も東京、ということでいいのだろうか、という歌にも聞こえるかもしれません。「残る人」の歌です。
一気に書いたら頭がくらくらする(笑)。読み直す気はしません(笑)。というわけで、今日の「東京」の歌。JUJUの「東京」を。今、浮かんだだけです。また明日、じゃ、おやすみなさい。