盛岡・山形公演が「見送り」になりました。岩手県と山形県は感染者が出てないんで、ひょっとしたら、という一縷の望みも抱いていたんですが、この状況ですもんね。仕方ないとしかいいようがありません。いつになるか分かりませんが、何とか実現できることを祈るしかないです。
コンサートが見たい、という人ばかりじゃありませんもんね。これだけ全国で感染者が出ると、向こうの方から「入県お断り」ということもあるでしょうし。「鎖国」ならぬ「鎖県」。県境閉鎖。県境に関所が出来かねせん。都知事が言っていた「都市封鎖」というのはそういうことでしょう。
姉の息子、甥っ子がインドにいるんですが、「外出禁止」で家から出られないようです。地球上の人口の三分の一がそういう状態なんだそうですよ。世界中が息を殺している。日本はどうなっていくのでしょうか。
毎日、同じことを書いてますよね。何でこうなるかというと、ニュースを見ながらだったり見てから書いてるからですね。ニュースがコロナ一色だから、頭の中もそうなってくる。そう思って、さっき、最後の方ですけど、日テレの音楽番組を観てたんですよ。
こういう時だからこそ、音楽番組がほっとするなあ、とか、不況の時に音楽番組の視聴率が良くなるという昔からのパターンはこういうことなんだろな、と思ってみてたわけです。でも、途中でどっか覚めてしまいました。音楽への愛情というのかな愛着が感じられない気がしたんです。
中にはこの番組のために収録した曲もあったんでしょうけど、ワンコーラスで絞ってしまったり。え、これで終わりなの、という感じ。折角の音楽番組なのに、もったいない。外出出来ずに家でテレビを見ている人が多いんでしょうから、良い音楽を伝えてほしいなあと思いました。
改めてコンサートツアーというのがどれだけ貴重なエンタイテインメントなのかを再認識させられたりしてます。「そこに行くこと」の意味。バーチャルじゃない音楽空間。貴重なのは労力も含めてですよ。人も楽器もセットも、そこに行く、現地で歌う。
どんなにデータ配信や通信技術が発達しても「空気」は共有できないわけですから。テレビ会議は、情報は共有できても「空間」は別々。一期一会という愛おしさは生まれないんじゃないでしょうか。今は、だから「危険」とされてしまうんでしょうけど。
みゆきさんのツアーは「ラストツアー」。岩手や山形の人たちにとっては最後の機会になるかもしれなかったわけで、どうにかして実現してほしいですが。「最後を飾る」という結末を見たいということに尽きます。これが最後の旅になるのはやっぱり哀しい。
でも、「見送り」というのは意味が深いなあと思いました。「延期」でも「中止」でもなくて「見送り」。僕らは、今、色んなものを「見送って」いるのかもしれません。「平和」とか「安全」とか「祭り」とか「日常」。 今まで普通だったことが失われて行くをの見ている。「コンサートツアー」というのもその一つ、ということになるのでしょうか。
と書いて話は逸れますが、朝乃山の大関昇進挨拶が良かったですね。あの人は人を安心させる雰囲気もある。「愛と正義」。良い言葉じゃないですか。70年年代の「愛と誠」みたい。福原愛と高中正義。飯島愛と高中正義じゃ芸能週刊誌だ(笑)。でも、その二つはまだ「見送り」たくないです。
というわけで、明日、感染者が増えてないことを。曲ですね。みゆきさん「最後の女神」を。どんな人であれ、どこの国の人であれ、「最後に見た夢」は素敵なものであってほしいです。天使たちが歌をやめる日が来ないことを。じゃ、おやすみなさい。