という番組があります。東京では流れないんですが、ヤスさんがパーソナリテイを担当している番組です。秋田放送、西日本放送、岩手放送、新潟放送、信越放送、京都放送でオンエアされてます。放送日や時間はまちまちです。
そこに呼ばれました。ありがたいことに二週分でありました。いつもはミュージシャンがゲストで彼とその場でセッションをしたりという番組とのことでしたが、もちろん、僕はそんな芸当は出来ません。URC50th3枚組BEST「青春の遺産」がテーマでした。
何とも久々。イベントの会場とかで顔を合わせたことがあったと思うんですが、ちゃんと話をするのは30年ぶりぐらいじゃないでしょうか。いやあ、しゃべり過ぎました。興奮した、というのも変ですけど、テンション高すぎでした。
考えてみれば、今までも僕は話を聞く方ですからね。おまけに積極的に自分のことを話す方じゃありません。そういう取材で、自分のことは全くと言っていいほど話したことがない。彼ももちろん僕がなぜこういう仕事をするようになったかは知らない。かなり個人的な話になりました。
年は二つ違い。でも、過ごした場所も環境も違います。同じような音楽を聴いていても体験はまるきり違う。彼も職業的なインタビュアーじゃない分、要領よくまとめようという感じじゃないわけです。その頃どうしてたんですか、みたいな話が止まらなくなりました。
何よりも、そういう話になったのは、テーマがURCだったからでもありますね。ヤスさんが、関西フォークのようなメッセージソングや素朴な弾き語りのような音楽に対しては距離を置いていたというのは知ってました。正直に言うと、よく呼んでもらえたなあ、と思ったわけです。
僕はヘルメット学生の端くれみたいなもんでしたからURCの音楽は同じ土俵でありミュージシャンに対しても同類、という感じでしたけど、彼は違いました。しかもミュージシャンですから、ああいう音楽はやらない、みたいな目でも見ていたでしょう。
会話の端々にそういうことも出てました。「音楽的じゃないと思っていた」みたいなことですね。オフコースはもっと音楽的に高度だったり良質なものを目指してましたからね。そういう人が、これだけ時間が経って、改めてどう思うか、みたいな番組にもなりました。
でも、逸れた話の方が多かったかな(笑)。僕は個人的に二つのことを話せて良かった。ひとつは、89年に友人の元「週刊FM」の編集者、大屋順平がなくなった時のお葬式にわざわざ足を運んでくれていたことの同業としてのお礼ですね。
もう一つは、彼が日本で何台かしかないコンピューターを購入した時に、取材していながら全く理解できていなかったことへの、お詫びというと変ですけど、力不足でした、という懺悔。当時の音楽雑誌は、そういうことへの理解も知識もありませんでした。僕もその一人です。
ともあれこの年になって、これだけ時間が経ってこういう話が出来たことが嬉しかったです。帰りながら、ちょっぴりしみじみしてしまいました。元気でいて欲しいです。Radikoもあります。4月4日から放送かな。もしお時間あれば。
というわけで番組のタイトル曲、オフコースの「メインストリートをつっ走れ」を。気温23度。春のような一日でした。じゃ、おやすみなさい。