風が強いせいでしょうね。雲がかかってなくて綺麗な月が浮かんでました。真っ白なニッケルみたいなお月様。大きな一円玉という感じですね。黄色い満月じゃなかったのは季節のせいでしょう。注意してみないんで気付きませんでしたが、今ごろはこういう月なのかもしれません。
あの日から9年。もう、なのか、まだ、なのか。両方の感覚がありますね。今でも鮮明に覚えているシーンもあるし、そう言えば、どうしたんんだっけなあ、と思い出せないことも結構ある。でも、少しでも思い出さないとそのうちに忘れてしまうでしょう。
何度か書きましたけど、あの日、「毎日新聞」のビルの中の喫茶店で、毎日新聞から出た僕の本「70年代ノート」の宣伝の打ち合わせをしてたんです。2時46分か。立っていられない揺れでビルを出て、反対側の皇居のお堀端に避難してました。
電線もビルも揺れてる。毎日新聞のビルのエレベーターホールが倒壊したんです。そのうち救急車のサイレンが聞こえてきて、千葉の方で火災が起きたという噂が流れてきた。ここにこうしていても、というんで新宿まで歩いたんです。
寒かった。新宿についてもバスに乗れない。どのくらい待ったかな。どうにか乗ったものの、青梅街道が全く動かない。二時間以上かかって永福町について、そこからまた歩いた。最終的に8時間。足が棒のようになってました。でも、その時は津波のことも原発のことも知らなかった。
何が起きたのか知るのは、翌日ですね。カミさんも帰れずい立川のネットカフェで泊まって体調を崩して寝込んでしまったり。その後の余震や計画停電の中での日々はみなさんと同じでしょう。日本はどうなるんだ、と思ったのが、ずいぶん前のように感じます。
あれから9年。まさか、こんなことが、というのが今年、ということになりますね。全国の学校が休校になってしまったり、コンサートやイベントが中止になったり、高校野球もプロ野球も出来なくなった。そういう意味では、あの時よりも深刻という言い方も出来ます。
みゆきさんのツアーの札幌公演もなくなりました。まだ代替え日は決まってませんけど、中止にはならないでしょう。延期。すごいことです。とんでもないことです。あの時も、誰も責任を取らないまま時間が経ってしまいましたけど、今回はまだ先も見通せません。
みゆきさんのツアーの取材をしたい、とヤマハに打診した時、参考のために、と読んでもらったのが浜田さんの2011年のツアーを取材した「僕と彼女と週末に」だったんです。でも、あの時は震災という非常事態が背景でしたから、同じようなものにはならないだろうなとも思ってました。
ところが、ですよね。まさか、こんなことが、という事態になってます。もし、ツアーが最後まで出来るとしたら、こういうことも書くことになるでしょう。どうなるんでしょうか。2011年は、浜田さんのツアーに同行できてほんとに助かった、と思ってるんです。
助かった、は変かな。でも、あのツアーがなかったら、何もできない自分に悶々としたまま時間が経ってしまって、ずっと後悔めいた自責の念を持たなければいけなかったでしょう。ボランテイアに行ける年じゃありませんでしたし。
J.S. Foundationの佐藤代表と一緒に被災地の幼稚園を廻らせてもらったり、ほんとに微力ではありましたけ現地の模様をこの目で知る事が出来ました。その佐藤さんも他界されてしまいましたし、そういう意味では9年。時間が経ったなあということになります。
2011年と2020年。今起きているこの出来事から立ち直ることは出来るんでしょうか。そして、2011年のあの惨劇の責任は、あいまいなまま時の流れの中に埋もれてしまうのでしょうか。今のこの事態は、この後どこに向かおうとしているのでしょうか。
感慨深い3・11になりました。被災された方に改めて合掌です。あの日のために、そして、来るべき日のために。曲ですね。浜田さん「僕と彼女と週末に」を。じゃ、おやすみなさい。