結局、検査は陰性だったんですね。「やっている」という証拠は出なかった。「もう長いことやってません」という彼の言葉は真実だったことになります。でも、そのことはあんまり報道されていないようにも思えました。されていたとしても「陰性だった」という簡単な記述で終わってたんじゃないでしょうか。
多分、世間のイメージはクロ。逮捕された時点でそれは決まります。この後の結果がどうなるにせよ、そうやってついてしまったイメージを消すことは無理でしょう。そして、今日、起訴されました。容疑は「やっていた」ではなくて「持っていた」です。
つまり、「やりました」「やってません」ではなくて「持ってました」と「やってません」という二つの事実に対しての判断だったことになります。そして、落ち着いたところが「持ってました」に対しての罰、でした。
確かに時効は7年だそうですから、2年前の「持ってました」は、対象になる。それに対しては仕方ないでしょうが。そう、が、なんです。その後の「やってません」は、どうなるんだろう、と思うんです。あの時「持っていた」ことよりも、長いこと「やってません」の方に意味があるんじゃないかなあと。
「やってない」人を「持っていた」ことで断罪出来るんだろうか。これは私生活の領域なんで、何とも言えませんが、「持っていた」のが自分の意志じゃなかったと言えないこともないわけです。そこから抜け出そうとしていたとも思えるわけです。
「やってない」数年間を捨象してしまって、「持っていた」頃に戻れ、ということにならないんでしょうか。「やってない」努力をどう評価するんでしょうか。これは起訴された後の裁判の判断材料ということになるんでしょうけどね。あまりに後ろ向きな気がするんです。
さっきも書きましたけど、一度ついた「やってる奴」「持ってた奴」というイメージは消えませんよ。特に30周年を踏みにじられたことであまりある償いを負わされてます。祝福されるべき年をこんな風に奪われたことをどう思えばいいんだろう。めげるなマッキーです。
コロナ肺炎の休業補償に案の定、フリーランスや非正規雇用は含まれませんでした。ミュージシャンはほとんどフリーランスです。ライブ関係者もそうです。廃業する人、転職せざるを得ない人、出てくるしょうね。そういう仕事につく人がどんどんいなくなるかもしれません。
ライブ悪玉説も出てくるでしょうし。救われないフリーランス。今日も滅入ります、またしてもね(笑)。今日、施設に行って置いてきました。生ものは駄目なんで、三種類の佃煮。姉弟3人から、という感じ。働いている方達、大変そうでした。ご苦労様です。
というわけで、今日も松田聖子さん。頭の”中”だけです(笑)。曲ですね。「瑠璃色の地球」を、新型肺炎が広がっている地球は何色なんでしょうか、じゃ、おやすみなさい。