さて、これは何でしょうか、ってふざけてる場合じゃないですが。お判りでしょうけど、槇原さんのことですね。その後の色んな情報です。今もニュース番組で言ってましたけど、彼は「容疑の大筋を認めている」とのことです。つまり、「やりました」ですね。
でも、もう一つの情報がありました。「もう長いことやってません」という話もしてるんだそうです。つまり「やってません」です。検査も陰性だったそうです。今回の逮捕には全く相反するこの二つがあるわけです。
もう少し補足しますね。「やりました」には(2年前は)という注釈がつきます。そして「やってません」には(今は)という注釈ですね。「(2年前は)やりました」、でも「(今は)やってません」ということになります。
さて、もし、その言葉が真実だとしたら、(2年前)を問題にするのか(今は)を重視するのかで考え方もかなり変わってきますよね。「これは大変な問題だから厳格に」という方は(2年前)を取るでしょうし、「その後」が大切、と思う人は(今は)の方に納得するんじゃないでしょうか。
僕は、やっぱり(今は)の方に軍配を上げたい方なんです。(2年前)は、そうだったかもしれない。そのことは許させれません。違法なわけですから、罰せられて当然でしょう。でも、そのことを厳格にすることで(今は)を否定してしまっていいのだろうか、とも思うんです。
こういう場合に使われるのが”更生”ですよね。もし、考えを改めて”更生”の道を歩こうとしているんだとしたら、その努力を汲む必要はないのだろうか。(2年前)が、こうだったから、と言って(今は)をなかったものに出来るんだろうか。大事なのは、今、どうしているかじゃないでしょうか。
というようなことを考えてます。Mrs.Greenappleの話はまた。今朝、めまいがひどくて起きられずに午前中の予定をドタキャンしてしまいました。申し訳ありませんでした。お天気が妙ですからねえ。身体が付いて行かないのかもしれません。
曲ですね。何でしょうねえ。椎名林檎さん、「罪と罰」を。じゃ、おやすみなさい。