妙なお天気ですねえ。昨日の夜、天気予報で大雪警報とか大雪に注意とか言ってたのは何だったんでしょう。起きたのが遅かったせいかな、雪は見ませんでした。明日は春の陽気になるんだそうです。昨日、今日に始まったことじゃないですけど、季節が消滅してます。
”季節のない街にうまーれ”と歌ったのは泉谷さん、タイトルは「春夏秋冬」。街にはないけど、まだ日本にはあった。もう、日本という国自体に季節がなくなっている。世界中かな。”季節のない星に生まれ、季節のない国に育ち”というのが、これからの子供、ということになりそうです。
というような話じゃなくて(笑)。明日、今野さんのお通夜なんですよ。日程を聴いた時はどうしようかなあと思ったんです。明日からみゆきさんの福岡公演。やっぱり自分の現場はそちらだから、御花を出すことくらいしかできないかなあ、と思いました。
でも、一晩考えて、やっぱりお通夜に行くことにしました。ツアー取材も僕のやるべきことではあるし、大袈裟に言えば戦場でもあるわけですが、時間の密度、これまでの関係の深さ、ということで言えば、今野さんの方を取るべきなのかなあと思うようになりました。
さっき、ホテルに電話を入れて明日分をキャンセルしてもらいました。30日の告別式を終えてから行こうと思います。マネジメントの方に連絡したら「見送ってあげてください」と言ってくれました。ありがたかったです。
考えてみれば、NACK5の番組にはみゆきさんも何度も出てくれましたからね。ニッポン放送の「オールナイト」、FM TOKYOの「お時間拝借」以外ではみゆきさんのインタビューを一番多く収録した人でしょう。そういう事情も入れながらツアーのことを書こうと思います。
インタビューの収録と言っても会議室にいるのはみゆきさんと僕だけで、デイレクター―の彼は、機材のセッテイングだけ済ませて、インタビューが終わるのを部屋の外で待っているということもありましたね。
氷室さんも何度かそういうことがありました。普通のゲスト番組ではありえないと思ったことでしょう。スタジオで収録が当たり前になっている今のラジオでは、あんまり例のない番組でもありました。ま、僕がそうしてしまったわけですが(笑)。
でも、そういう時も嫌な顔一つしなかったですね。NACK5は当初、8年間か、土曜日の昼間の生放送でしたから、生放送ならではのアクシデントも色々あったわけです。そういう時も慌てるそぶりは一切見せなかった。
むしろ、そういう風変わりを面白がっている、何かあることを楽しんでしまうようなところもありました。慌てない、舞い上がらない。プロのディレクターでした。というようなことをやっぱりふっと思い出しますね。
まあ、20年ですからねえ。沖縄のホテルから生放送をしたり、BEGINの「歌の日」の会場から中継したりというのもありました。みんなで千葉の鴨川とか軽井沢とかも遊びに行きましたね。僕の地元の公園でバーベキューをしたこともありました。
どれも番組を介在したお付き合いだったんですよ。だから思い出が多いのかな。彼は、プライベートではサンバを踊ったりダイビングをしたり、バンドをやったり、三線も弾く、スポーツカーやバイクも乗る。もちろんクラブのDJもある。多趣味な人だったんで、どんな人が彼を見送るんだろうと思いながら参列します。
悲劇だなあと思うのは、お孫さんが出来たんですよ。でも、顔を見ることなく逝ってしまいました。残念だったでしょうね。ということで、曲です。彼が最初に邦楽に興味を持ったのがRCサクセションでした。「ヒッピーに捧ぐ」を。
急死したマネージャー、通称、ヒッピーを歌った曲です。清志郎さんのインタビューがあった時に「東京に来てこの仕事をして良かった」と嬉しそうだったのを思い出します。じゃ、おやすみなさい。