いきなりですけど(笑)。CDを台湾に送ったせいもあって、家の整理がいつもよりも大々的。今まで手付かずだったり頭が回らなかったことまでどうしたもんでしょう、という感じになってます。
今まで気にも留めずに押入れや段ボールに押し込んでしまっていたものが結構たくさんある。古い名刺や年賀状がそれですね。もう何十年分がそのままになってました。さて、どうしたもんか、という感じなんです。
不思議なもんですね。パッと見た時に、この人が誰か思い出せなかった名刺でもしばらく見てると思い浮かんだりする。そうなるとやっぱり処分しにくくなる。たとえ、それっきりだったとしても一度は会ったことのある人ですからね。
”人の縁”みたいなものがあるとしたら、捨ててしまうことで、それがないがしろになってしまうような気もしてくる。”運”を捨てるみたいな感じもありますし。といって相手は引っ越していたり会社を変わってしまったりということも多いわけです。
そんなもん持っててもしょうがないじゃん、という自分もいるんですけどね。年賀状はもっとそういう感じが強いんです。おめでたいものを捨てるというのはどういうことなんだろうとか。みなさんどうされてるんだろうと思うわけです。
初詣のお炊き上げみたいなものがあればいいんでしょうけど。あるんでしょうかね。名刺供養とか年賀状供養みたいな催し。自分で勝手にやればいいのか。どっかの公園に行って焚火をするみたいに燃やしてしまう。
最近の公園はそういうことにうるさかったりしますからね。管理人が飛んできたり消防や警察に通報されることもあるかもしれない。不審者ね。それでなくても不審な容貌なわけですから。若い頃はよく職務質問されましたって、話が逸れるか。
そう、このブログのタイトルになっている猫の散歩をさせている時はよく不審者扱いされましたね。猫の散歩といっても猫はちょろちょろしてますから見えないことも多いんです。歩いてるのか止まってるかのか分からない。
あの人、何してんのという印象。猫の散歩を始めてからしばらくして、「不審な人を見たらすぐに110番」という札が立つようになりました。ひょっとして俺のことかな、という感じでした。何の話をしてるんだっけ(笑)。
そう年賀状を燃やすんだ。フラれた相手からのラブレターを燃やすのはロマンテイックですけど、古い年賀状じゃねえ。どうしましょうね。というわけで、2019年、後一週間を切りましたね。
大変な一年でした。来年はもっと大変そうです。僕にとっても色んな意味で最後の年、ということになりそうです。何よりも健康。曲がりなりにも年末を迎えられて良かったです。というわけで、曲ですね。燃える年賀状の歌、ないよね(笑)。
年賀状の歌。あるかな。郵便の歌はたくさんありますね。槇原敬之さんの「フルサト」を。良い曲ですよ。じゃ、おやすみなさい。