昨日と一昨日ですね。東京国際フォーラム。細野さんの音楽活動50周年記念特別公演。二日間それぞれ内容が違いました。「拝見出来ますか」という問い合わせの返事が昨日なら、ということでした。
細野晴臣さん、日本のポップミュージックの巨人です。表舞台だけでなく時にはレーベル主宰者やプロデユーサーという形でも一貫した影響力を持ち続けてます。今年、彼の影響を公言している星野源さん、小山田圭吾さん選曲のベストアルバムも出ました。
色んな企画がありました。六本木のど真ん中、六本木ヒルズの展望台で「細野観光」という展示会、50年間の軌跡と今年の海外ツアーの模様を織り込んだドキュメンタリー「NO SMOKING」もありました。それぞれに興味深かったです。
展示会は、子供の頃からの写真とか日記、創作メモや蔵書、旅の記録、そして、楽器。こういうものまでよく残ってましたね、というものばかり。彼の祖父はあの沈没した豪華客船、タイタニック号の日本人唯一の生き残り乗客なのは有名な話ですよね。
生れは港区。でも、木造家屋の写真とかは、当時の東京の生活の名残。まさに東京の文化の歴史というものばかり。音楽体験もそうでしょうね。細野さんの歴史は東京の新しい音楽の歴史そのものでもありました。
映画「NO SMOKING」もそういう作品でしたね。監督はNHKのプロデユーサー。カットを効果的に挿入するテレビ的な手法は、ありがちなドキュメンタリーとは違う内容になってました。
ありがちなドキュメンタリーね。言うのは簡単ですけど。つまり、時間軸に沿って何がありました、こんなに波乱万丈な音楽人生でした、という感じじゃない。時間を追ってはいるけど、今の細野さんというのがもう一つの大きな軸になっている。
ロンドンやロサンジェルス、ニューヨーク、台湾という海外ツアーの様子。今、彼の音楽が海外でどう受け止められているかがよく分かる映画でした。東京っ子のシャイな茶目っ気もよく出てました。
そうした一連の記念イヤーのしめくくりがこの二日間のライブ。僕の見た昨日は「イエロー・マジックショー3」と銘打たれておりました。でもねえ、ちゃんと調べて行かなかったんです。若干戸惑ったのも事実でありました。
気付かなかったんですが、「イエロー・マジックショー」というテレビ番組があったんですね。「細野ハウスの人々」。73年のアルバム「HOSONO HOUSE」のパロデイ。お父さんが細野さん、おじいちゃんが高橋幸宏さん、星野源さんは息子ですね。
いきなり芝居の書割のようなセットでの家族団らん。アドリブもありそうな家族の会話で細野さんの歴史が語られる。合間に映画「NO SMOKING」のシーンや高田漣さんがリーダーのバンドで”家族”が歌ったりする。
一日目はコンサート形式だったみたいですけど、同じことを二回やってもしょうがない、ということなんでしょう。最後もお祭り騒ぎもアンコールもない。50周年の余興。そんなに特別なことじゃないんだよ、と言ってるようでした。
でも、エープリ・フール、はっぴいえんど、ソロ活動、セッションミュージシャン、YMO、レーベル主宰者、ヒット曲や映画音楽などの作曲者。どこを取っても輝かしいものばかり。それをことさらにひけらかさない。それも東京っ子のダンデイズムのようでした。
今年、どこかでインタビューを、と思ったしてたんですが、結局、お願いするタイミングを見つけられなかった感じです。70年代のヒッピーカルチャーの申し子のようだった彼の目に50年がどんな風に映っているのか、機会があれば。まだ諦めてません(笑)。
というわけで、50周年イヤーの締めくくりでした。曲ですね。73年の「HOSONO HOUSE」から「住所不定無職低収入」。当時、そういう生活をしていたミュージシャンは多いです。そんな時代があったんですよ。じゃ、おやすみなさい。