偶然なんですね。今日は加藤和彦さんの命日。ちょうど10年前の10月16日、自ら命を絶たたれました。10周忌です。で、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の10月の特集、加藤さんの後半二週の収録がありました。
ゲストはきたやまおさむさん。彼は、臨床の診察もおやりになってるんで、ほんとに忙しい。たまたま空いているのがこの日だった。しかも都合のつくのが午前中だけ、というんで朝10時からの収録。僕らの感覚だと相当に早い。早朝とまでは言いませんよ(笑)。
そういう巡り合わせもあったんでしょうね。きたやまさんが10年間ずっと思っていたことというのをざっくばらんに語ってくださいました。と言っても彼の話は精神医学的な用語とか解釈が混じりますからね。ありがたいお話(笑)。有意義な時間でした。
僕らは、同じ時代の傍観者、第三者、ま、ファンみたいなもんですけど、彼は盟友、戦友、共作者、そして、自分でも公言しているライバルだった。しかも、精神科医。医者ととして出来ることはなかったんだろうか、という思いが消えたことがないと言ってました。
その一方で時間が経つことで俯瞰できることもある。言えることも増えてくる。二人がいかに水と油だったか。例えば”過去を振り返らない加藤さん”と”ことあるごとに振り返るきたやまさん”とか、生きる姿勢自体が違っていた。
もっと具体的なのは、”素うどんなんか食えない”という加藤さんと”うまいと思う”きたやまさんとかね。ライフスタイルもそうだし、人間の”多様性”ということに対しても許容の仕方が180度違う。それでいてお互いの才能を認め合っていた。嫉妬もしていた。
8月にきたやまさんの本「良い加減に生きる」が出たんです。CDも「自選集・良い加減に生きる」が同時発売。CDの中の曲についての背景や分析、告白エピソードを書いていてるのが本の方ですね。そこにも今だから語れることがたくさんありました。
でも、加藤さん、62才だった。今思えば若い。でも、彼は「自分は必要とされてない、世の中は音楽を必要としてない」と逝ってしまったわけです。きたやまさんは「覚悟の自死だった」と言ってましたけどね。
あれから10年経って、僕らも年をとって、”死”ということに対してのリアリテイが少し変わってきてる気もするんですね。自分の人生の結末をどうつけるんだ。拓郎さんが「自作の曲だけでツアーを終える」と決めたのもその一つでしょう。
自分の最後は自分で決める。自決権、みたいなもんでしょうか。加藤さんは、その洗礼をつけた、と考えると、これから影響力を持ってくるのかもしれないな、潔いと思う人も増えてくるかもしれない、と思ったり。
きたやまさんは、加藤さんがなくなってから書いた曲「早く逝こうとする君」でこんな風に歌ってるんです。”潔いのでしょうか 私は真似できません 不器用だから”と歌ってました。不器用だから死ねない。どう思われますか。
思われますか、と言っても答えを求めているわけでもないです。言葉のあや、行きがかりです(笑)。でも、あんな音楽人生を送った人はいないでしょう。オンエアを是非。かなり貴重です。2013年にFM COCOLOで加藤さん追悼60分番組を14本作りました。
あれ以来のきたやまさんの加藤さん話。続編、みたいなものかな。あの番組はYAMAHAから「永遠のザ・フォーククルセダーズ・若い加藤和彦のように」という本になってます。もし、ご興味あれば。
曲ですね。フォークルの「コブのない駱駝」を。きたやまさんは精神科医としての原点と言ってました。何でも物差しに当てはめたがる今だから、当時よりも意味のある歌だろうと思います。じゃ、おやすみなさい。