というようなことは普段はほとんど考えませんけど、こういうロケーションだと自然に感じたりするもんですね。今日は8月9日。長崎の被ばく祈念日。テレビで丸々見てしまいました。朝、部屋に戻って、仕事しようかなあと思いつつテレビをつけたら、やってました。
仕事しようかなあと思ってテレビをつけた。どういうこっちゃという感もなきにしもあらずですが。ツアーの取材でホテルにいる時もそうなんです。意味なくテレビがついてる。音を消したりしている時もありますね。
視線は行ってるのに、意識としては見てない。何をやってるかとか全然頭に入ってない。単なる目のやり場としてついているだけ。その方が気が紛れて仕事がはかどったりするんです。高校野球もそういう感じですね。
で、長崎の式典が流れたんです。これもツアー中の感覚に近いですね。何も介在せずに向き合ってしまう。家でニュースを見ている時とは違いますね。まともに受け止めてしまう。田上市長さんの話とか聴き入ってしまいました。
良い挨拶だったなあ、と思いました。お役人が書いた儀礼的な感じがしない。自分の言葉で伝えようとしている。以前、福山雅治さんの稲佐山ライブを見に行った時にも彼が挨拶して、良い感じの方だなあと思った印象がありました。
かなり前になるのに、変わってないように見えました。むしろ、懐はが深くなったようにも思いました。そういう挨拶を聞きながら、空が繋がっている、とふっと思いました。北海道と九州。間に海峡が二つある、でも、同じ空、という感じでした。
東京にいると、なかなかそう思えないのは東京の空が特殊なんでしょう。そういう感覚にさせるのも北海道の空だからという気もするんです。この広がり。この大空の向こうに色んな国があり、色んな人が住んでいると思わせてくれる。
空だけじゃないかもしれません。東京から地方は見えない。東京が全て。地方から東京はよく見える。これ、30年以上前、千春さんの足寄の自宅に取材に行った時に、彼に言われたんです。その言葉は鮮烈でした。
足寄の小学校で森進一さんのコンサートがあって、千春さんがゲストに出ると言うんで見に行ったんです。小学校の体育館の床にお年寄りが正座して聞いている。千春さんは、そいう人に向かって、森さんをほめちぎる。東京じゃ見たことのない光景でした。
その帰りに畑の畦道をとぼとぼ歩いて帰る時に、千春さんがそう言ったんです。「お前ら、これが見えるか。東京の連中は東京しか見てない。東京から地方は見えないんだ。地方から東京は良く見える」。ほんとにそうなんです。
朝は小雨に煙っていた空も、お昼前から北海道らしい青空が見えました。雨上がりの綺麗な空でした。気温もぐっと下がりました。昨日とか一昨日、35度とか言っていた富良野は一気に半分近くなるみたいです。
北海道の空、特別なものがあります。2001年のGLAYのEXPOで、TERUさんが、感極まって「見てくれ!これが北海道の空だ!」と叫んだのを思い出します。東京も沖縄も広島も長崎も。空は繋がってます。
後、一日。明日、空は広がってくれるでしょうか。一気に晩秋です。というわけで、曲です。こういう流れは千春さんかなあ。スピッツの「優しいあの子」かなあ、GLAYの「HOWEVER」かな。やっぱり先輩に敬意を、千春さんで「大空と大地の中で」を。じゃ、おやすみなさい。