と言われてアルバム名が出てくる方は、もう少数派なんでしょうね。40年前ですもんね。なくなって7年が経ちます。そうか7周忌か。77年の「マサヒロ・Ⅱ」78年の「テキーラ・ムーン」、79年の「KUWANA No.5」という3枚ですね。
どれもメインの作詞が松本隆さん。「マサヒロ・Ⅱ」には「哀愁トウナイト」が入ってます。もう一曲の大ヒット「セクシャル・バイオレット No.1」は79年のほぼベスト盤「コミュニケーション」収録。その三部作にが入ってません。
当時、桑名さんの事務所だったモスファミリーの代表、寺本幸司さんに話をお聞きしてました。スタジオ・ジブリの機関誌「熱風」での連載「風街とデラシネ・作詞家 松本隆の50年」のための取材でした。
松本さんにとって、77年、78年、79年という時代を物語るアルバムがその三部作と拓郎さんのアルバム「ROLLING30」ではないだろうか。70年代を彼がどんな風に終えようとしていたか。それらのアルバムに読みとってみようという趣旨です。
寺本さんは、当時の名プロデユーサーの一人。リリイとか下田逸郎とか、そして何よりも浅川マキさんを世に送り出した人。桑名さんは、大阪のバンド、ファニーカンパニーから手掛けてました。東京での後見人と言って良いでしょう。
松本さんは東京の山の手、寺本さんは下町生れ、桑名さんは大阪のお金持ちの息子。それぞれの違うセンスがどんな風にアルバムになっていったか。実に面白かったです。どうやってまとめようかという感じです。まとめるのは休み中。休みにならないか(笑)。
でも、改めて思ったんですが、桑名さんはシンガーとしてもっと評価されてもいいのになあ、という感じでしたね。矢沢さんほどのカリスマ性はないものの、声の色気とか、フェイクの粋さ、黒っぽいグルーブ。いいなあ、と思って聞いてました。
松本さんはヒット曲の多さで群を抜いてます。でも、本人も言ってますけど、「アルバム作詞家」なんですね。シングルにはない世界が展開されている。桑名さんのアルバムもそうでした。今絶版になってるものもあるみたいで、勿体なあと思います。
というわけで、曲です。シングル「哀愁トウナイト」のカップリング「さよならの夏」を。松本隆・筒美京平ならではの洗練されたバラードです。じゃ、おやすみなさい。