二日連続の「それ、何ですか」(笑)。1977年がどうかしたか。どうもしません。単にその年に何があったのか、とか、どういう年だったのかとか考えておりました。昨日も書いたスタジオジブリの機関誌「熱風」の連載「風街とデラシネ・作詞家松本隆の50年」です。
1977年。原田真二さんのデビュー曲「ていーんず ぶるーす」が発売になった年。それが10月。その後、11月に「キャンデイ」、12月に「シャドーボクサー」が出た年。ロック御三家という言葉が生まれた年。70年代の転機となった年、という感じですね。
70年代の転機ね。そうなんですよ。同じ70年代でもこの辺からテイストが変わってくる。60年代の終わりから70年代の初めにあった機運とかムーブメントみたいなものが変質していった感じですね。そして、新しい動きが生まれてきた年。
70年代の分水嶺は75年だと思ってるんですね。フォーライフレコードが出来たとか、キャロルやかぐが姫、キャンデイーズが解散したとか。拓郎さんとかぐや姫の「つま恋」があったとか。みゆきさんがデビューしたとかね。
サブカルだった音楽がメジャーになって頂点を極めた年、というんでしょうか。それがあって77年になる。フォーライフの社長が小室さんから拓郎さんに変わった年ですね。フォーライフは発足したものの逆風もあったりして業績が上がらなかった。
新社長になった拓郎さんの課題が「会社の立て直し」でその突破口が原田真二だった。というようなことを、太田裕美・岡田奈々・原田真二という流れの中で書いていた、という感じかな。報告兼予告編ね(笑)。
でも、原稿には書かなかったんですけど、僕がラジオをやめようかなと思ったのが77年だったんです。サブカルがメジャーになったということの中に深夜放送もあったんです。僕は「セイ!ヤング」でしたけど。ラインアップが変わってきた。
名前は出しませんけど、芸能系のアイドルとかがやるようになってきた。その台本を書くことになったりね。俺じゃなくてもいいんじゃないかなあとか、思いながらです。それまでの深夜放送の面白さはどんどんなくなってきた。
ここにいてもしょうがないかなあ、と思っていた矢先に知り合いの編集者から「雑誌の編集長をやらないか」という誘いがあったんです。スポンサーはエロ本屋さんでしたけど(笑)。そっちの方が面白いかなと思って、ラジオから離れた。それが77年でした。
というようなことを考えてると原稿が進まないんで、今になってますが。77年。30才でしたからね。20代の前半に「30以上は信じるな」と言っていた人間が30になる。それは結構、事件でした。というような中で拓郎さんの「ROLLING30」が出るんです。
その話は来月になるんですけどね。でも、思いがけない岡田奈々さんの登場でどうなるかと思いましたけど、何とか入稿しました。この連載、自分でもどうなるか分からずに書いてるんで先が見えません。
松本隆さんの世界は知れば知るほど深くて大きい。とんでもないこと始めてしまったなと思いつつやってます。ということで、明日は拓郎さんの文京公会堂。曲ですね。原田真二さん、「ていーんず ぶるーす」。”ジェームス・ディーン”は矢沢さんの「サブウエイ特急」にも出てましたね。じゃ、おやすみなさい。