4月から始まっていたアリーナツアーの関東公演。昨日と明日の三日間公演の中日、17本目と言ってましたね。2月に発売されたアルバム「Eye」「Lips」の二枚を携えてのツアー。まだその真っ最中ですから、もちろん内容には触れませんけど、良いライブでしたね。
劇的でした、というと誤解されるかもしれません。特別な感動的な盛り上げがあったりというものではありませんけど、バンドのヒストリーという意味で劇的な感じがしたんですね。これまでのツアーとかなり違う気がした。そういうエポックメイキングな質、根底に流れているのもが劇的に思えました。
アルバムがそういう内容だったこともあるんでしょうけど。ダークサイド、ポップサイドとトーンの違う二枚のアルバムに収めれているのはそれぞれ13曲。26曲ですよ。アルバムの曲だけやろうとしても全曲網羅は出来ない。どうやってやるんだろうというのが半ば野次馬的な”関心”でありました。
なるほどなあ、というこっちは”感心”ですね。アルバムの本質を表現するというライブに思えたんです。再現するのではなくて、自分たちにとってどういうアルバムなのかを伝えようとした。それが良かったんですよ。今までのライブと明らかに違うものが流れてました。
一言で言うと「温度感」かな。とっても「人間的」だった。客席ともそうでしたし、メンバーの間もそういう印象でしたね。コンサートという空間に非日常的な想像のファンタジーを作り上げるというより、彼ら4人が存在する事自体がファンタジーという感じがしたんです。
アルバムのリード曲「LOVE SONG」が、そういう時期を物語っているように思うんです。大人になること。時間が解決してゆくこと、今まで自分たちにとっては相いれないと思っていたことが、変わってくる。そのことを受け入れつつ大人になってゆく。
彼らのキャリアが他のどんなバンドとも違うのが”コミューン”という思想、というか生活の形態をとっていたことでしょう。共同体。一緒に生活する。バンドの人間関係の深さが違う。音楽でつながっていながらそれ以上の深さがある。
Saoriさんが妊娠・出産した時のことを話してましたけど、バンドメンバーが、子供を受け入れてくれた。男性のバンドの中に入っている女性がそういう時に感じる疎外感がなかった。そのことは象徴している気がしたんですね。
そこに”社会”が出来上がっている。バンドの人間関係の中に”社会”がある。メンバーの子供をみんなで面倒みる、みたいな精神的なつながり、というんでしょうか。それは若い頃には持てなかったものでしょう。今だから、それが確かめられているようにも思えました。
彼らの歌の中には、世の中と適応できない人の痛みや葛藤が色濃く歌われてると言って良いでしょう。そういう傷つきやすさを持った大人の優しさ、というと安っぽいかな。でも、人と人の関係に確かさを感じている。
大人になることは大切なことをなくすことと自覚しつつ、世の中には目をそむけたくなることの方が多い、と知りつつ、それでも人生は素晴らしいと歌える。その繊細な温度感、暖かいコンサートだなあと思いました。
うまく言葉に出来てませんが、とりあえず、っていうのも妙か。忘れないうちに。最近、ここに書き損ねのコンサートが結構あるんです。そうならないように。そうだ、もう一つ。今日の会場には全都道府県のお客さんがいたそうです。
これぞスーパーアリーナ。これぞ大宮。全国から集まってくるんです。大宮ソニックシテイがそうであるように。それもコンサートの温度になってました。というわけで、曲ですね。去年の「サザンカ」は、好きな曲なんです。いい曲ですよねえ。屈指のバラード。いつ聞いても胸が熱くなる。
「いつだって物語の主人公は笑われる方だ 人を笑う方じゃない」というフレーズに救われます。と言っておきながらアルバムのリード曲「LOVE SONG」を。じゃ、お休みなさい。