この間放送になった「SONGS」の中で彼が話していたのがこれですね。同感というか、そうなんですよね、という感じだったんです。あの時に書こうかと思ったんですが、そのままになってしまいました。沖縄、あわただしかったですからね。
昨日も夕方に「沖縄タイムス」の取材を受けて、そのまま空港。戻ったらぐったりしてました。今朝も起きられない。よく寝ました。昔は違ったんですよ、どこででも寝られる、みたいなことが特技だと思ってましたし。ホテル好きでした。
今は違いますね。家はいいな、みたいになってる。若い頃は、こういうことを老化と言ってたんでしょうけど間違いなくそうなってます。という話じゃなくて(笑)。いや、そういう話とも言えますね。
どういうことか、番組をご覧になってない方もいらっしゃるでしょうからかいつまんで。あの「傘がない」は、新聞の片隅に載っている若者たちの自殺のニュースやテレビで誰かが深刻にしゃべっている我が国の将来よりも、”君”に会いに行くのに傘がないことの方が問題だ、という歌ですね。
当時は、若者たちの社会的無関心を象徴する歌と言われたりしました。三無主義とかね。自分の身の回りにしか関心が持てない”ミーイズム”の台頭を物語る歌、とかです。でも、陽水さんは、そういうことよりも「傘がない」の”ない”にリアリテイを感じるようになった、というんです。
「自分でもうまく言えない」と言いつつでしたけど、でも、しっくりきた感じだったんですね。大状況か小状況か、という価値観の選択ではなくて、”ない”歌なんだ、と。”傘”は比喩であって、いろんなものが”ない”という歌に感じる。
そう、”ない”んですよ。”傘”だけじゃなくて。世の中の出来事に関心を持つかどうか、という以前に、色んなものが”ない”。”ない”という実感の歌。それは言葉にすると陳腐にもなってしまうかもしれない。
さっきの話の続きで言えば、「体力」も「気力」も「時間」も、色んなものがもう”ない”んです。でも、それを具体的に”体力がない”というとあまりに直接的で歌にならない。”君”をコンサート会場のお客さんと取ることも出来ます。
で、”傘”に象徴させている。あれ若者たちの歌ではなくて”老人”の歌なんじゃないか。彼はそこまで断定はしなかったんですが、暗にそう言ってるようにも思えました。そう、あの人はだいたいが”暗”になんです。それが魅力ですけど。
というようなことを考えながら、明日のNHKホールに行ってみようと思います。「傘がない」。どんな風に聞こえるでしょうか。僕らはもう”ない”んです。じゃ、「傘がない」を。おやすみなさい。