という連載記事があるんです。いや、あったんです。書いたのはぼくです。1984年の4月1日から4月28日にかけて26回の連載。大阪の「スポーツニッポン」でした。毎日連載。一回が1200字くらいでした。その記事をようやく見つけました。
ショーケンがなくなってから、このブログの閲覧のランキングに以前書いた「ジュリーとショーケン」という記事が入ってました。忘れてるんですよ。そういえばそんなこと書いたなあと思って読んでいたら、その中にこのスポニチの連載のことが出てました。
大阪の「スポニチ」で一カ月毎日連載というシリーズを三回やったんです。最初は矢沢永吉さん。82年のアルバム「P.M.9」が出た時。二回目が沢田研二さん、83年のシングル「晴れのちブルーボーイ」が出た時、三回目がショーケンでした。
「ショーケンという男~その実像を追う」というタイトルはスポニチの文化部の松枝さんという方がつけたんですね。連載の承諾の交渉も松枝さんがやってくれました。矢沢さんも沢田さんもそうでした。色々お世話になった方です。
その記事が見当たらなくなってたんです。当時は生原稿ですからね。元の原稿は残ってないんです。連載は大阪なのに東京のスポニチに原稿を持って行ってました。何回分かをまとめればいいんですけど、その日暮らしの原稿だったんで、当時浜松町にあったスポニチに持って行ってました。
今じゃ、考えられませんよ。毎日、「お願いします」と持って行って大阪に送ってもらうんです。よくやってたなあと自分でも思います。かなり本気で書いてたんで、読み直したいなあと思ってたわけです。コピーがようやく見つかりました。
自分で言うのもなんですけど、面白いんです。今、色んなメデイアで彼のことを取り上げてますけど、ここまで書いたものはないだろうな、と思いました。1984年。彼は大麻や飲酒運転、離婚と続いた後で、芸能メデイアの恰好の餌食になってました。
そういう中で行われた復活ツアーに同行して書いたドキュメントなんですね。リハーサルからツアー、記者会見、その間に話を聞くんです。色んな話が出てました。「俺の人生どっかおかしい」という本が出た時でしたからね、かなり赤裸々です。
ちょうど母親をなくしたりもしていた時だったんで、子供の頃の話とか。実はものすごい母親思いだったり、その時のツアーのバンド、ブラック&マルローという名前へのこだわりとか、あの独特な歌い方についてとか。GSを解散した時の話とか。
ショーケンのパフォーマンス、好きだったんです。頭の先からつま先まで、指先に至るまで演技していた。自分の大麻の逮捕をネタにしてしまう虚実皮膜。越路吹雪さんみたいなロックシンガーでした。芸術論も一家言ありました。
で、改めて思ったんです。この記事、復刻できないかなあって。僕はどっちかと言えば、言わなくてもか(笑)。書きっぱなしタイプなんです。でも、この連載は残したいなあと思ったりしました。残っている記事もかなり色あせてしまってます。
ということで、もし、ご興味あれば。曲ですね。彼が母親を歌った曲、「九月朝、母を想い」を。じゃ、おやすみなさい。