と書いたからと言って、何か一緒に行われるとか、そういうことではないんです。単にふっと思っただけ。ふっとじゃないか、しばらく考えましたね。明日、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の4月特集、「さよなら平成・TKの遺産」の収録なんです。
明日のゲストはエイベックスのA&R。つまりアーテイストの制作や宣伝などを関連する仕事を担当する人。globeの後期からTMの再始動、小室さんのソロと18年間関わってこられた方。彼の中でのTK、という話を聞きます。で、例によって今日はglobeを軸にしたTK漬けでした。
で、あれこれ妄想というか、ああでもないこうでもない、ひょっとしてこうなんじゃないか、とか考えるわけです。平成の30年あまりでTKというのは、どういう存在だったんだろうとか、彼の才能というのはどういうものだったのだろうとかね。
作詞や作曲、プロデユース、コンピューターの知識、コンセプトメークとかストーリー作り、そして作家。TM NETWORKの30周年では小説も書いてましたからね。そういう多彩さ。こういう人で、その後を継ぐというか、同じようなポジションの人は誰だろう、とか思ったりしてました。
そんな中でふっと浮かんだのが米津玄師さんだったんです。もちろん、小室さんはシンガーソングライターじゃないんで自分で歌いません。パフォーマンスの形も違いますから、そんなに簡単に比べることは出来ないんでしょうけど。
でも、共通点もあるよなあ、と思ったり。時代の変化、という意味では、二人とも時代そのものと言えます。コンピューターとシンセサイザー。テクノロジーの進化がそのまま音楽に反映されている。昭和から平成、TMからtrf、globeへの変化は、まさにそれに対応したものでした。
そこにカラオケでしょう。デイスコ、クラブもありました。デジタルなダンスビートであると同時にカラオケで歌える。それがTKの成功の最大の理由でしょう。平成から令和という時代の変化に最も対応しているのが米津さんでしょうし。
しかも、米津さんはインターネット世代の申し子。音楽だけじゃなくてアートも出来る。色んな楽器を一人で操ってしまうという共通点もあります。それもコンピューターあってこそでしょう。
TKの音楽をずっと聴いていて、やっぱり米津さんと違うところも多い。一つは刺激性ですね。TKは音楽のフォーマットに則っている。そういう意味では破綻がない。むしろ、気持ち良過ぎるくらいに気持ちいい。そして、ウエット。感傷的です。
米津さんは違います。もっと刺激的。曲の合間にも間断なく感覚を刺激する音が入ってる。時には、メロデイーを無視したように突然入ったりする。彼の曲を中毒性というような言い方をするのは、その刺激性もあるんでしょう。
もっと言うと、米津さんは、音楽の成り立ちも無国籍。ジャンルがない。時代もバラバラ。ネット世代特有の混在感。アナーキー、カオスの魅力と言った方がいいかも知れません。小室さんは、ロックやR&Bのヒストリーに沿っている。そこも大きな違いだなあと思ったりしました。
まあ、小室さんは、自分が歌わないからプロデユースに行ったんでしょうから、米津さんがTKみたいなプロデユーサーにはならないでしょうけど、でも、時代の変わり目に登場したというのは大きな共通点のように思ったりしたわけです。
したわけですって、どっか先生みたいかな(笑)。ま、そんなことを考えながら一日を終わろうと思います。何だか急に寒くなりました。風邪など引かぬように。曲ですね。小室哲哉 feat MIU SAKAMOTO&KREVAで「Vienna」を。
”I'm just a music storyteller”と歌ってるんです。”僕はただの音楽のストーリーテラー”。米津さんは「音楽」に収まらないもと根源的な「芸術」に近いようにも思います。さて、TKのストーリーはまだ先がある気もするのですがどうなってゆくんでしょう。じゃ、おやすみなさい。