多分、どなたもご存じのない名前だと思います。ミュージシャンでもシンガーソングライターでもありません。レコード会社とかマネジメントのスタッフというわけでもないです。そういう意味では一般の方。ベンチャー投資会社の社長さんでした。
この前、お葬式があった時に、長くなるからまた、と書きましたけど、それが彼ですね。もし、彼がいなかったら、この話は間違いなくなかった、そして、こんな巡り合わせがあるんだ、という偶然の不思議を体験させてくれた方でした。
家にあるCDを台湾に寄贈しようとしているという話は以前も書きました。少しずつですけど、すでに郵送も始まってます。そのきっかけを作って頂いたのが彼なんです。もし、彼がいなかったら、この話は間違いなく成立していませんでした。
そもそもCDを台湾に送ろうと思ったのは2016年なんですね。何で台湾かというのは何度か書きました。こんなに日本の音楽を愛してくれている人が多いのに、日本の音楽がちゃんと伝わっていない。
特に、戒厳令が敷かれていた1949年から1987年までは日本だけじゃなくて外国の音楽や文化が全く紹介されないという鎖国状態だった。そのことを知ったのは大きかったです。台湾には95年のCHAGE&ASKAのアジアツアー以来取材やプライベートで何度も行ってます。でも、そういうことを知らなかった。
つまり、僕らが一番、熱かった70年代、80年代のことは全く知られていない。拓郎・陽水・ユーミン、誰も知らないと言って過言ではありません。そして、いきなり配信時代に入ってるんで、CDという文化の形が広がらないままになってました。
そんな国の若い人たちに僕の持っているCDが、せめてもの役に立てば、というところから始まったんですね。でも受け皿が見つからなかった。台湾文化センターという公的な機関も知恵を貸してくれたんですが、難しくて頓挫してました。
そこに登場したのが新堀さんでした。彼を紹介してくれたのは、元新聞社にいた大先輩ジャーナリスト、今はウエブのニュースサイトの会長、Nさんです。45年前からお世話になっている彼が「紹介したい人がいる」と言われました。
何でそうなったか。新堀さんが浜田さんの熱烈なファンだったんです。で、彼の話の中で浜田さんが出て来た。Nさんが「僕の古い友人で浜田さんのことを書いている人がいる」と言ったら、彼がひょっとしてと僕の名前をあげた。こっからです。
なんと、僕が書いた「浜田省吾ストーリー・陽のあたる場所」の中に彼が出ている、というんです。でも、僕には思い当たらない名前だった。よく聞くと、79年の浜田さんの山口大学の学園祭のことが書かれていて、それが、彼が実行委員会で呼んだ、ということでした。
確かに、名前は出てないんですが、朝まで語り合った、という記述はある。それが彼でした。まさか自分の本の中に出てくる方と30年も経ってお会いするとは思いませんよね。「そうだったんですか」と一緒に食事をしていて台湾の話になりました。
台湾の話になったのは、彼が「旅するソングライター」の中の「マグノリアの小径」の「もっと自由でいいんだ」という歌詞が好きだ、ということからですね。そう言えば台湾は「自由の島」なんですよ、と話がそこに行ったんです。
何で「台湾なの」と言われてCDを寄贈したいんだけど話が頓挫しているというと、彼がしばらく考えていて、「僕が何とか出来るかもしれない」と言ってくれました。彼は大手証券会社に就職したけれど身体を壊した。「人のためになる仕事をしたい」と独立してベンチャー系の投資会社をやっている。そのルートがある、というんです。
主に医療や環境に関しての新しい発想の企業に資金提供している。そのネットワークの中に、台湾のS大学という国立大学があって、そこと話をまとめてくれたわけです。日本と台湾の文化交流の一環ですね。ようやく話が具体化している中でなくなってしまった。
本当に悲しく、残念でした。先日のお葬式も浜田さんの曲が控え目に流れてました。お葬式で聴く浜田さんというのも初めてでした。厳粛でした。彼の音楽や声にはそういうスピリチャアルなものがあるというのも改めて思ったことでした。
彼は自分の会社にも浜田さんの曲のタイトルをつけてました。去年のファンクラブツアー「Welcome Back to 70's」には闘病中にも関わらず参加、一部の弾き語りに号泣しっぱなしだったと言ってました。
それはそうなりますよね。まだそんなに知られてない時代の浜田さんを学園祭に呼んだという自分の青春。そして、それから40年近くなって、その頃の曲にそういう状態で出会う。どんな風に聞いていたんだろうと思うと胸が詰まります。
冬から春へ。季節の変わり目、闘病半ばで逝ってしまう人も少なくありません。62歳でした。今年の春がどこかいつもの年と違って感じるのは、そんな知らせが多いせいでもあるんだろうな、と思います。この話はもう少し先になってと思ったんですが、追悼の意味も込めて忘れないうちに書かせて頂きました。長くなりました。
今日から年度替わり。元号も新しくなりました。でも、“令”という字はどこか好きになれません。“命令”とか“指令”とか、どこかいかめしい上から目線を感じてしまう。そういう時代にならなければいいな、と心から願うばかりです。
というわけで曲ですね。新堀さんの愛唱歌は「家路」だったそうです。こんなことがありました、こんな方がおられました、ということで。浜田さんの「旅するソングライター」から「誓い」を。じゃ、おやすみなさい。