と言ってもこの間と同じように、また電車が遅れたり鍵を忘れたり携帯の電源が切れそうになったというようなことが続いた、というようなことではありません。単にこの言葉について、です。いい加減なことを書いておりました。
何の根拠があったわけでもなくて、ふっと、変じゃないかなと思っただけだったんですね。もし、自分に思いがけないことが降りかかるという意味では”踏まれたり、蹴られたり”ではないか、と思ったわけです。
教えられました。非開示の書き込みなんで、お読みいただけないと思うのですが、正確な意味を調べてくださった方がいらっしゃいました。”踏んではいけないものを踏み、更に蹴ってはいけないようなものを蹴ってしまう”ということなんだそうです。ありがとうございました。
ですよね。それなら分かります。”地雷を踏んでしまった上に手りゅう弾を蹴ってしまった”みたいなことでしょうね。”うんちを踏んでしまった上に生ごみ袋を蹴ってしまった”でもいいか。”バナナの皮を踏んで滑った上に、コンクリ―ブロックを蹴ってしまって足の骨を折った”とかね。
そんなこと書いてると、本当にそうなってしまうから、やめますが(笑)。お彼岸の中日、らしい過ごし方をしました。墓参りに行って、オフクロの様子を見に行った。こういう模範的なお彼岸というのは初めてかもしれません。
お寺の坊さんが「天声人語」を読んでくれてたんです。「朝日新聞」、すごいな。残念ながら「毎日新聞、読みました」という人、あんまり会わないですもんね。そう言われるのは嬉しいもんです。
オフクロ、元気でした。さすがに言葉の呂律はかなり怪しくなってましたし、「覚えてない」という言葉も増えました。98歳。満でいうと99歳。今年の誕生日が来ると数えで100歳ということになります。
でも、最近、数え、という言い方をしなくなったかなとふっと思いました。そう、ふっと思うんです、そう言えば、みたいな感じね。「踏んだり蹴ったり」もそうでしたけどね。「あれ、何かおかしくね」みたいな。
昔は、もっと一般的だったように思うんです。何で、数え、という言い方をしたのかなと考えたら、赤ん坊の死亡率にあるように思ったんです。仮説ね。何の根拠もない。生まれすぐに息を引き取ってしまった乳児が多かった。
お墓に埋めたりする時に「0歳」というのは、どこか悲しい。生を受けたとは言い難い。せめて「1歳」ということにして残したい。「0歳でなくなったんですよ」というより「1歳だったんです」という方が気持ちが感じられる、ということなのかなあと。
お墓の卒塔婆に戒名を書いたりする時に「0歳」より「1歳」の方が何かが始まっていた、と思える。何の根拠もありませんけど、お彼岸ですからね。でも、お天気、良かったです。汗ばむようなお墓参り日和でした。
そして、今、イチローさんの最後の会見が行われようとしてます。歴史を変えた名選手の最後の日がお彼岸だった。日本的だなあと自分で思いますが(笑)。曲、何でしょうねえ。どっちかなあ。
「生まれ来ること」という意味ではみゆきさんの「産声」を。「夜会工場」のテーマ。名選手の引退、ということではアリスの「チャンピオン」。どちらでも、という感じでしょうか(笑)。じゃ、おやすみなさい。