大袈裟なタイトルになってしまいました。そんなに大それたことを書こうというわけではないんです。NHKで桑田さんの「ひとり紅白歌合戦」の総括的特集番組をやっていたんで見てました。録画しなきゃなと思いつつうっかりして途中からでした。
忘れるんですよ。昼間、「夜、こういう番組があるんで見ておいてくださいね」と言われて分かりました、と言ったのに、夜になったら忘れてる。ほんとに困りますよね。情けない。「録画します」とまで言ったのに。というぼやき、ではなくて。
番組の中で「大衆音楽」という言葉が何度も使われてました。去年の「ひとり紅白」のステージででも桑田さんは「大衆音楽家として」というような言葉を使ってたと思いますね。それはきっと意識的なんだろうな、と思って聞いてました。
サザンのアルバム「葡萄」の時からでしょうね。あのアルバムのキャッチコピーは「大衆音楽の粋、ここに極まれり」でしたからね。アルバムについて書いたりしゃべったりした時も引用した記憶があります。
「大衆音楽」。「大衆に愛されてきた音楽」。まだ耳慣れないという方もいらっしゃるでしょうけど、わかりやすいなと思いますね。幅が広い。そして、古いとか新しいという時間の区切がない。いつの時代にもそういう音楽がある。
ジャンルが細分化され過ぎた印象もあるんでしょうね。最近はロックやポップス、歌謡曲程度じゃ収まりません。特にロックはそう。”メロコア””エモコア””ハードパンク””シューゲイザー”なんていう言葉まである。
そうやって細分化することで自分たちを差別化しようとしてるんでしょうけど、それが間口を狭めているということも間違いなくありますよ。そういう色んな音楽を”大衆音楽”として括ってしまう。
今までは、「歌謡曲」と言う言葉が、色んなジャンルの音楽を包括した言葉として使われてきましたけど、もっと広いですからね。全部飲み込んだ雑多なエンターテインメントしての音楽。桑田さんにはそれが一番収まりがいいんでしょう。
例えば、演歌でもその中に入るわけです。北島三郎さんもユーミンももちろんサザンも一緒になる。その舞台が彼にとっての「ひとり紅白歌合戦」だった。個人的な「大衆音楽の祭典」だった。
言葉にするのは簡単ですけど、それを全部飲み込める人がいるかなと思いますよね。何でもあり、ということを実践するには何でも出来ないといけないわけですから。ひとりで全部体現する。まあ、稀有な企画だったと改めて思いました。
でも、あまりに広い。翻って自分のことを思った時に「大衆音楽評論家」と名乗るのは無理でしょうねえ。「音楽評論家」というのも、自分で言い出したわけじゃなくて、「肩書は何にしますか」と訊かれた時に「何でもいいですよ」と言ってたらこうなったという感じですから。
そういう意味で言えば「大衆音楽家」と名乗れるのは自信以外の何ものでもないんだと思いますね。桑田さんは、唯一無比じゃないでしょうか。以前は「雑食性」みたいな言われ方をしてましたけど、それよりもしっくりきますね。もうすぐサザンのツアーも始まります。「大衆音楽の巨人」です。
そうだ、そう言えば、35周年の再開ツアーの時かな。「マンピーのG・SPOT」をやった時に、「大衆音楽」と思いましたよ。ポップスかロックとか歌謡曲とかいうことでは収まらない民俗音楽のような土着的な大衆性。それがサザンなんだと思いました。
さて、今朝の「天声人語」。素敵な記事でした。感想は書きません、とか言っておきながら、ですけど(笑)。「大人のJ-POPカレンダー」、やって良かったと思いました。僕にはやっぱり「J-POP」という言葉の方が身の丈にあってるかもしれませ(笑)。
というわけで、曲ですね。サザン=大衆音楽の証しのような曲「マンピーのG・SPOT」を。じゃ、おやすみなさい。