病気話に病院話、そして、訃報。3月になっても続いてますね(笑)。ま、そういう年齢なんで、しょうがないわけです。今日、文化放送の元プロデユーサーがなくなったという連絡をもらいました。
もう退職して25年以上になるのかな、Aさんとしておきます。70年代から80年代にかけての文化放送の花形プロデユーサー。日本でフォークソングを初めて紹介したデイレクターのひとり。文化放送では「フーテナニー'66」という番組をやってました。
60年代の半ばにフォークソングが入ってきた時のラジオ番組の最初のムーブメントを支えた一人。その後、落合恵子さんやみのもんたさんを育てた名デイレクターでした。みのさんの名付け親。ドラマで芸術祭とかを総なめにする”賞男”、でもありました。「今晩は落合恵子です」という名番組を作った人ですね。
僕に「フォークの番組の構成をやってみないか」と言ってくれた方でもあります。小室等さんがパーソナリテイーだった「三ツ矢フォークメイツ」がその時の番組ですね。THE ALFEE結成前、坂崎さんが組んでいたコンフィデンスがコンテストに応募してきた番組でした。
三ツ矢サイダーですからね。大滝詠一さんの「サイダー」が毎回CMで流れている番組。5年間続いたのかな。「みのもんたのワイドNO.1」という番組のプロデユーサー、僕も構成作家の一員に入れてくれました。分かりやすく言うと「恩人」ですね。
ラジオの世界の恩人というのは3人いるんです。一人は僕に「ラジオ番組の台本を書く気があるか」と声をかけてくれた文化放送のKさん。もうひとりはレコ大の審査員に推薦してくれたTBSの、これもKさん。そして、もう一人がAさんでした。
”賞男”でしたからね。音楽や言葉のデリカシーに富んだ使い方が本当にうまかった。オンエアを聞きながら涙ぐんでしまったこともありました。僕は、師匠とか先輩が全くいない中で仕事をしてきましたけど、勝手にそう思っている唯一の師匠かな。今も、もし、あの人だったら、どんな構成にしただろう、とか考えます。
一年に二回くらい、その頃の文化放送の人たちと食事する機会があるんです。でも、今でもその人の前だと敬語はもちろん、襟を正して背筋が伸びます。去年の年末にはお会いしましたけど、突然でした。冬を越えて春になる。この季節、そういう知らせが増えますね。ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
で、以前、少しだけ触れましたけど、今日、カミサンが入院したんですね。良性だったんで、そんなに問題もないんですが、小さな腫瘍が見つかって、明日、手術なんです。今日は入院の、明日は手術の立ち合いです。
半日病院にいると疲れますね。まあ、そんなこと言ってられません。締め切りが大丈夫か、綱渡りになりそうです。というわけで、Aさん。名前書きますね。芦沢務さんです。彼が好きだった曲。五つの赤い風船「遠い世界に」を。彼が遠い世界に行ってしまいました。じゃ、おやすみなさい。