昨日の今日なのに、すぐに弱気になる(笑)。月が替わったり年が新しくなったと言って何かが変わるわけでもないのに、そういう気持ちになれる。これは人間だけなんでしょうね。そうでもないのかな。犬や猫はどうなんでしょう。
犬や猫にも不眠症ってあるんでしょうからね。悩み多き猫、とか自律神経失調症の犬とか、いそうでしょう。僕は猫しか知りませんけど、見ていて、今、何か悩んでるなと思うことはありましたもんね。
そうですよ、猫のことを思い出しました。以前、3匹飼ってたんです。隣で生まれた子猫をもらって、その子が産んだ猫が2匹だったんです。まだ子猫だと思ってたのにそうなってしまった。人間で言うと”幼な妻”ね。3匹しか産まなかった。
普通はもっと多いでしょう。そうなったらその中の何匹かを友人に貰ってもらおうとか思ってたんですけど、2匹はそうもいかない。中学に入ったばかりの息子が「姉弟を引き離すのか」と抗議してたんで、そのまま飼ってました。
つまり、母親と姉弟。母子家庭が一組同居しているみたいな感じだったんです。このブログの「猫の散歩」もその時の名残なんですね。この話はずいぶん前に書いた記憶がありますけど、ある時、斉藤和義さんのインタビューで猫の話が出ました。
彼は当時6匹飼っていたのかな。その中の一匹が散歩好きだ、と言ったんですね。犬の散歩は知ってましたけど、猫は初耳でしからね。「紐でもつけるんですか」と聞いたら、そうじゃなかった。
猫はテリトリーがあるんで、自分でそこを一周する。僕は後からついてゆくだけなんだ、と言ってました。そういえばうちの3匹の中の姉の方がよく出たがってたんで、ドアを開けてやったんです。
そうしたら、おそるおそる出て行って、家の周りを一周して返ってきた。僕はその後をついていくという形で散歩が始まりました。そのうち、母親猫も加わって、毎晩、僕と2匹の散歩が習慣になりました。
僕が帰るとみんな玄関で待ってるんです。そうじゃない時も中から飛んでくる。それから一緒に散歩する。帰ってから寝る前にここを書くのが日課になって、こういうタイトルになりました、って今ごろ言ってる(笑)。
ただ、母親が18歳かな、なくなって、その後、姉弟も後を追うようにしていなくなってしまった。それが2009年だ。そうか、今年は猫がいなくなって10周年か。思いがけないことに気づきました。
3匹とも僕の手のひらの中で息を引き取りましたからね。猫は自分の最後を人に見せないというのは俗説だと思いました。姉猫は腎臓が悪くなって歩けなくなってしまったんですが、二階の僕の部屋に階段を上がってきました。
夜中にドスン、という音がするんで、階段に行ってみると、上がろうとして力付きてしまった姉猫が倒れてました。最後も、たまたまカミサンが外出している時で、身体をさすりながら、もうちょっと頑張れ、と言っていたら彼女が帰るまで意識もありました。彼女が帰ってから息を引き取りました。
その時にこのブログのタイトルも変えようかと思ってどうしましょう、と書いたら、そのままで、というんで「新」をつけてこうなってます。といういきさつがあります。でも、人間みたいでしたよ、ってなんでこういう話になってるんだろう(笑)。
そう、猫も不眠症になるのか、ですね。なると思います。というわけで、ってどういうまとめだ(笑)。3月、良い月になりますように。曲ですね。何だろう。新しいところで、back number「黒い猫の歌」。「黒猫のタンゴ」じゃあんまりだし(笑)。姉さん猫は黒と白でした。じゃ、おやすみなさい。