お帰り70年代へ、ようこそ70年代へ、という感じですね。このところ70年代の話が増えてるんで、その延長線、と思われた方もいらっしゃるでしょうが、そうではないんです。9月の末から行われている浜田さんのファンクラブツアーのタイトルです。
ツアーの正式名称は「100% FAN FUN FAN」。お客さんが100%ファンだから100%楽しい、という意味になりますね。去年に続いての開催。というようなことはファンクラブの会員の方しか知らない。
ファンクラブの会員とそうじゃない方とこんなに情報量が違うアーテイストも多くないかもしれません。そうじゃない方は、こうして毎年ツアーを行っていることはまずご存じないでしょうし、その内容もです。
去年は「60年代」がテーマ。今年が「70年代」。同じようにその時代をテーマにしていながら「60年代」は、浜田さんが思春期の頃に影響されたり好きだったとその頃の洋楽が主でした。カバーコンサートですね。
「70年代」は、そうじゃないんです。彼自身のアルバムが5枚出てますからね。しかも、まだそんなにメジャーになる前。思うような音楽活動が出来なかった頃。不遇期と言っていいかもしれません。
最近はそういう言い方はしなくなっているようですけど「70年代の5枚は廃盤にしたい」と冗談めかして話していたこともあります。つまり、心残りがいっぱいあるという時代。その頃のアルバムがテーマなんですから、興味深くないわけがない。
昨日と今日、東京国際フォーラム。楽しませて頂きました。昨日、書こうかと思ったんですけど、中途半端に書いてもね、と思って今日になりました。と言ってもまだツアーは前半。内容については触れません。今まで書いたことはすでに公になってることですね。
何が楽しかったか。面白かったか。そういう心残りの時代と今、どう向き合うか。その姿勢。一般的に言って、その方法論は三つです。一つは追体験。ノスタルジーに徹する。もう一つは、違う解釈を加える。三つ目は、無視する、というやり方ですね。
今回のツアーがどういうものかは、ご自分で、ということになるわけですが、改めて70年代というのが、妙な時代、だったなあ、と思ってました。あの時代にしかなかった価値観、というと大げさか。風潮でもいいですね。
時代の空気が音楽を左右していた。それがフィルターになっていた。ロックやポップスは特にそういう要素が強かった。これは、自戒、反省というべきか。自分のことも含んでますね。俺もそうだったなあというほろ苦さも込めてます。
音楽としてちゃんと評価されなかったというんでしょうか。その中で試行錯誤せざるをえなかった。その分、色んな要素が未完成のまま散りばめられていた。原石というやつですね。そういう部分を取り出して磨きをかけたようなコンサートでした。
アレンジとか演奏とか、今のミュージシャンだから表現できることというのもあるでしょう。歌もそうですよね。当時ではそこまで歌えなかった、でも、これがやりたかった、こういう風にしたかった、という思い残すことのないような内容でした。
それもファンクラブだから出来ると言っていいでしょう。一般のファンには全くと言っていいくらいに知られていない時期の曲ですし、その後も顧みられてこなかった曲もある。ファンはそういう曲も受け入れてくれるでしょうし、むしろ喜んでくれる。
実は、70年代というのはこういう音楽の要素や流れもあった。そういう流れに目を向けようとしなかったのが、当時のメデイアであり音楽ジャーナリズムだった、という再認識もありました。
音楽ジャーナリズムなんてないに等しかった、と言っていいかもしれませんね。そういう意味では、その頃にそういう音楽に関心を持った少数の音楽ファンたちが、再評価の光を当ててくれた。
浜田さんを見つけ、光を当て、自分の音楽として伝えてきたファンの人たちがいたからこそ今がある。そういう人たちに聞いてもらいたい、一緒にあの頃に味わえなかった喜びをかみしめたい。そんなコンサートのように思えました。
70年代、愛おしい時代です。曲、どうしようかな。選曲されているかどうかではなくて、僕にとっても感慨深い曲という意味で。「遠くへ」を。じゃ、おやすみなさい。