いきなり70年代(笑)。片や過激なロックで時代を打ち抜こうとした頭脳警察と日本語のフォークのはしりだった六文銭。ロックとフォーク。音楽のスタイルは両極端のように見えますが、大きな共通点があるんです。
それは結成とデビュー。頭脳警察は69年結成。六文銭は69年デビュー。来年は50周年という年。一度は解散という形をとりつつ何度目かの再結成。頭脳警察は9月にライブアルバム、六文銭は先日11月7日に新作オリジナルアルバムを出したばかりです。
更に、明日、頭脳警察のインタビューと六文銭のライブ。明日は50周年dayという感じになりました。頭脳警察は「毎日新聞」と「J-CASTニュース」の取材。六文銭はどこか場所を見つけて書こうと思ってます。
このスケジュールは偶然。手帳に書きこんでから気づきました。でも、偶然とは思えないというのも確かです。だって、50年ですよ。ソロでも貴重なのにバンドやユニット。一人なら自分だけ元気ですみますけど、そうもいかない。
お付き合いの古さで言っても同じくらいかな。お付き合いという直接的なものじゃないか。名前を知ったという程度ですけど。へえ、そういう人たちがいるんだ、と思った時期。70年でしょうね。
僕らの大学で演劇をやっていた同級生がいて、そいつが頭脳警察が好きだった。僕らの大学は当時お茶の水にあってその学生ホールでそいつが脚本を書いて演出した芝居をやったりしてたんです。
GSの曲を使ったり彼が詞を書いて友達が曲をつけたロックミュージカル。まだタイトルも覚えてるな「世界を蹴飛ばせ」だ。こんなくそみたいな世界におさらばしようぜ、みたいな内容だったかな、というと乱暴すぎるか(笑)。
彼はそのまま演劇の道に進んで、のちに頭脳警察に作詞をするようになりましたからね。三原元という劇作家です。才能あるやつでした。でも、70年代半ばに芝居から身を引いてしまいました。
片や六文銭。初めて見たのは70年ですよ。新宿のATGで上演していた「スパイ物語」。別役実さん作。音楽が六文銭。ステージで生で歌ってました。僕は創刊したばかりの新宿のタウン誌「新宿プレイマップ」の新米編集者でした。
ATGの裏に「泉」という演劇関係の人たちが集まる喫茶店があって、たまたま入った時に上演前の小室さんがお茶を飲んでいた。「あ、小室さんだ」と思ったのが最初。ということは当時から彼は有名人だったことになりますね。
その後、僕が文化放送で仕事をするようになって小室さんがDJで僕が構成してたのが「三ツ矢フォークメイツ」。丸5年やりましたね。そうやって考えると一番距離の近かったのが小室さんということになりますね。
今も中央線沿線の当時の文化放送関係者たちと年に一二回の食事会があったりもします。PANTAさんも2007年にNACK5で放送した「病院船氷川丸」の時にご一緒してますし。その時々にお付き合いのあったお二人ということになります。
「病院船氷川丸」には構成と取材で関わったんですけど、面白かったですよ。氷川丸というのは横浜のシンボルのような豪華客船。でも、戦争中は病院船だったんです。PANTAさんのお母様が看護師さんで南方の戦地に派遣されていた。
日本に帰国する時に乗った船が病院船だった氷川丸。途中に米軍の攻撃を受けて沈みそうになったりする。もし、あの時船が沈んでいたら、今の僕は生まれていなかった、ということで母親の当時と病院船氷川丸の数奇な運命をたどる、というものでした。
音楽のジャンルも違うんですが、六文銭の新作アルバムのタイトルが「自由」。サブタイトルは”2018年プロテストソング集”。時代に対して迎合しないというスタンスは共通。50年間、そうやって生きて来た、そんな二組、そんな二人です。
ということで、僕も自分の50年を踏まえながら話を聞けたりライブを見ることが出来たらな、と思ったりしております。年、取るわけだ。古すぎ(笑)。曲ですね。六文銭。小室さん、及川恒平さん、四角佳子さん、小室ユイさんという顔ぶれ。
全16曲の大半は新作。中にこの曲がありました。小室さんのソロの一枚目のタイトル曲「わたしは月にはいかないだろう」を。月には行きませんけど、天国には行きたいです(笑)。じゃ、おやすみなさい。