今、帰ったんですよ。そろそろ1時。このまま寝ようかどうしようか考えたんですが、やっぱりその日のうちに書かないと、ということでこうしてます。習慣なんですね。その分、寝るのが遅くなる。まあ、今日はしょうがないか。
ライブもご当地映像を入れて3時間20分。6時半開始で10時近い。やっぱり長いです。最近は若いバンドやアーテイストの方がコンパクトというか、短い。あれは何なんでしょうね。体力は彼らの方がありそうですけど。
そういうことだけじゃないでしょう。ライブに対しての姿勢というか向き合い方。長くやっている人はそれだけライブで歌いたい曲も増えるでしょうし、伝えたいことも多くなる。立ち去りがたい気持ちも募ってくるのかもしれません。
一期一会という言葉の意味が分かるようになるのはそれなりの年齢になってからでしょう。今日、この場で出会った人たちとは今度いつ会えるか分からない。思い残すことのないように出し尽くしたい。その積み重ねが形になってゆく。
今日は本来ならツアーファイナルでしたからね。「大阪の人たちには申し訳ないけど、最終公演のつもりでやります」という話もありました。思い残すことのないように出し尽くすという意味でも感動的なコンサートでした。
妙な言い方ですけど、これがコンサートというものなんだ、というコンサート。もちろん、歌がいいとか演奏がうまいとか、そういうことではない全体としてのコンサートというんでしょうか。
自分では「喉の調子がよくない」と言ってましたけど、声はちゃんと出てました。演奏ももちろん最終日ならではのあうんの呼吸。でも、それだけじゃない。やる側と聞く側の気持ち。”想い”というやつですね。
客席との合唱がこんなに美しいコンサートは多くないですね。コール&レスポンスという感じじゃないんです。1万人以上の声と歌が溶け合っている。”心のハーモニー”とでも言いましょうか。それが曲に合っている。
そういうテーマの曲が多かったせいもあるんでしょう。それぞれが重ねてきた時間。辿ってきた人生経験。もちろん、小田さんの時間もそこに含まれます。むしろそれが前提になっている。これまでを振り返る。今を見つめる。明日に想いを馳せる。それが曲に託されている。
若い時に書いた言葉が全く違って聞こえる年齢になっている。例えば「君住む街へ」の”その生命が尽きるまで”みたいな言葉は当時は一つの例えだったんでしょうけど、もうそれが現実になってる。完全に今の自分たちの歌なんですね。
万感の想いと言いますけど、1万人以上ですから万感以上の想いでしょう。うまく言えないんですけど、教会みたいな気がしたんです。宗教的ということじゃないですよ。それは誤解を招きそうですから。
ここでは泣いてもいいんだと思えるような時間というのかな。全てが許されると思えるようなコンサート。スピリチャルなものを感じました。スピリチャルを日本語にすると”霊的”ということになるのか。それも違いますね。
英語の”スピリチャル”を日本語に置き換えるとこういうコンサートになるというと少しは伝わるかもしれません。日本の音楽に置き換えるとかな。それはゴスペルとかソウルとか、音楽のジャンルには収まらない気がしました。
うまく言えないね。整理がついてない。でも、透明で品があって精神的で包容力があってなおかつ意志的。やっぱりスピリチャルか。教会みたいな、ということになるか。でも、誰かに祈りを”捧げたり”はしません。うーん、こっから先は頭が働かないみたい(笑)。時間切れ。ここまでね。
でも、会場の皆さんはご存じないでしょうけど、終演後、小田さんは関係者やゲストの全員と記念写真を撮るんですよ。プロのカメラマンが撮ってくれます。つまり、それが終わるまで会場にいるんです。それも全会場でそうだったようです。
それから食事に行くわけですからね。5月からそれを続けて今日に至った。地震で来年に延びた大阪公演がありましたけど、無事に終わって良かったです。71歳。ほんとにお疲れ様でした。そうだ、来年追加公演があると発表してました。
チケットが取れないという声があまりにも多いんで、と。だから、一度ご覧になった方は、取れなかった方の気持ちを汲んであげてください、的な話もしてました。ぜひ、そうしてあげてください。一人でも多くの方がご覧になれるように。
というわけで、僕も涙腺が緩みそう、でした。となりに同業の小貫信昭さんがいたんで、締めましたけど(笑)。そう、彼と小田さんと三人で記念写真を撮りました。一生もんです(笑)。曲ですね。緩みそうになった曲、「坂道を上って」を。じゃ、おやすみなさい。