というパーテイがありました。タイトルにあるように「オールナイトニッポン」の50周年の感謝パーテイ。会場は何と帝国ホテル。豪華、そしてラジオ局ならではの見事に構成されたパーテイでした。
「オールナイトニッポン」が始まったのは67年10月。去年がちょうど50周年。そこから一年間様々な形で続いた記念企画の総仕上げ。ラジオ界のレジェンドから現役の旬なパーソナリテイまでがズラリと顔をそろえておりました。
すごかったですよ。現役パーソナリテイには僕の好きな菅田将暉さんからAKB48の横山由依さん、三代目の山下健二郎さん、オードリーの二人やユーミン、中村雅俊さん。LEGENDでは、鶴光さん、亀渕昭信さん、高嶋秀武さん、宇崎竜童さん、小林克也さん、高田文夫さんなどなど。
だけじゃないな。喋り手だけじゃないです。元放送作家で今や音楽出版界のカリスマ、フジパシフィクミュージックの会長、朝妻一郎さん、やはり元放送作家の秋元康さんも登壇。ビデオコメントでタケシさんや岡村隆史さんもね。
それぞれ披露していたのがぶっちゃけの裏話。共通しているのは当時、70年代から80年代にかけてのラジオがいかに自由だったか。いかにはみ出していたか。そうやって好き勝手にやっていた人が今や偉くなっているというオチがついてました。
そうなんですよ。そういう人が偉くなっている、というのが重要なんです。ラジオの面白さを好き、という人が管理職にいるかどうか。そういう意味では良い会社だなあということが分かるパーテイでもありました。
でも、僕は「オールナイトニッポン」はほとんど縁がない(笑)。だって70年代当時は「セイ!ヤング」でしたから。「オールナイトニッポン」で喋った記憶は81年のチューリップの野外イベント「パゴダ」の前日に放送された生特番くらいでしょう。
あ、後は加藤いずみさんがパーソナリテイだった時に高橋研さんと3人のコーナーがあったことくらい。そんなん誰も覚えてないよ(笑)。それなのに呼んでくださってしかもテーブル席に案内して頂いたことには恐縮しました。
その頃を知っている現役の人が少なくなったからということでしょうが、あれだけ仕事をしていた文化放送はとうに何のお付き合いもない(笑)。まあ、そういう世界ですけど、だからこそ局の姿勢を感じた次第です。
昔、雑誌の世界では”クラスマガジン”という言葉があったんですよ。一定の読者層に向けた雑誌。不特定多数の読者ではなく、読者を限定して編集する。今、雑誌だけじゃなく新聞なども含めて、既成メデイアがクラスメデイア化しているように見えるんですね。
例えば、60代以上に向けて編集する、放送するとか。大人向けというある種の隠れ蓑。もちろんそれも意味がありますけど、そうじゃない、若い人にもアピールする。時代の一番旬な文化を伝える。ニッポン放送のそういう気概を再認識させられました。
ラジオの王道。ラジオ黄金時代がまた来るかもしれないですよ。言葉と音楽が一体になった音声メデイア。ラジコもあります。帰りの電車の中で拓郎さんの「ラジオでナイト」の一昨日放送分を聞いてました。
ネット局が増えた、と言ってましたね。いいことじゃないですか。ラジオの良さを知り尽くしているのが拓郎さんですし。あの番組も今や完全に彼の手の中にある気がします。油が乗ってきている。ツアーの日程を小出しにするというこの小憎らしさ(笑)。絶好調ですね。
でも、「広島フォーク村」も「オールナイトニッポン」も「50周年」ですよ。時間が経った、というべきか色褪せないというべきか。僕らは面白い時代を生きて来たんだなあと思わせられる二つのパーテイでした。それぞれの関係者の方々、お疲れ様でした。
というわけで、曲ですね。そういう中で、今年「卒業」を宣言された人のゆかりの曲を。みゆきさんの「ファイト!」。「オールナイト」に来たハガキがモチーフだという話は説明不要ですね。じゃ、おやすみなさい。