無事終わりました。台風で大丈夫なんだろうかと思いましたけど、盛会でした。交通事情で数名が欠席だったようですけど、50名弱が参加。全員がフォーク村の思い出を語るという夜になりました。
フォーク村の関係者は、10年以上前に中国新聞の日曜版で半年の連載「小説・広島フォーク村」を書いたり、拓郎さんのアマチャア時代のバンド、ダウンタウンズをモチーフにした「小説・吉田拓郎~いつも見ていた広島」での取材とかで大半が面識のある方たちなんですね。歓迎して頂きました。
今年は、広島市公文書館という図書館から「被爆70年史・あの日まで そして、あの日から~1945年8月6日」という本も出ました。その中の「広島フォーク村」という頁を書かせてもらってます。
3年前、戦後70年、つまり被爆70年に合わせて被爆というテーマで編集した特別な本。お話を頂いた時に書きましたっけ。それが出来たんですね。膨大な厚さ。3900円。しかも発行元が公文書館ですから、格調があるんです。光栄でした。
フォーク村の人たちもそのことを喜んでくれて、今回お招きいただいたということもあります。なにせ50周年ですからね。メンバーも70代になるかならないかという人たちばかり。懐かしさもひとしお。同窓会らしい、この場を愛おしむような時間でした。
思いがけなかったのは村長の伊藤明夫さんが最後にサプライズで紹介したメッセージ。町支寛二さんとロード&スカイの高橋信彦さんからもらっていることはすでに聞いてましたけど、何と拓郎さんと浜田さんからも来てました。
浜田さんは町支さんと高橋さんがいた広島フォーク村唯一の高校生バンド、グルックスの印象やフォーク村の先輩にはっぴえんどを教えてもらったことなどを交えつつ感謝の気持ちを綴ってました。
拓郎さんは、自分にとってのフォーク村が”女の子とどう付き合うかの教室””はかなく、せつなく、あやうい青春”だったという思い出。僕もそうでしたけど、みなさん思いがけなかったんでしょうね。涙をぬぐっている人もいました。
フォーク村は拓郎さんという傑出した存在があってこそではあるんですが、だからこそ他の方にもかけがえのない思い出になっている。拓郎さんにとってはそれが重荷だったり屈折していた時期もあるんでしょう。
でも、実はあの時期を誰よりも大切にしているのが拓郎さんでもあるんだろうな、と改めて思いました。ここまで来たんだからもう懐かしんでいい。アルバム「From T」は、そんな思い出の扉を開けたのかもしれません。
50周年。70代ですからね。若い参加者の方から60周年をやりましょうという声も出ました。でも、おおむね自信なさげでした。80代はねえ。東京の友人よりも会う機会の多い友人もいるんですが、僕も自信ないです(笑)。
会場が泊っているホテルなんです。市内に繰り出すという年齢でもありませんから二次会はなし。終わってから皆さんを送り出すという妙な立場になってしまいました。自分の家でもないのにね(笑)。
ホテルの玄関で「お元気で」と見送って別れる時、妙に淋しかったです。あれは経験のないものでした。でも、無事に行われて、参加できて良かったです。こんなに台風情報に釘付けだったことも初めてでした(笑)。
曲ですね。広島フォーク村のアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」から、広島商大の拓郎さんの後輩バンド、いちごの木で「れんげの唄」。被爆直後の焼け跡に咲いた花がモチーフ。彼らは今も活動してます。じゃ、おやすみなさい。