昨日に続いて故人の話ですね。意識的にそうしているわけじゃなくて、そういう原稿を頼まれたりすることが増えているからに尽きますね。自然とそうなっている。それも役割ということなのかなと思ったりしております。
木田高介さん。はっぴんえんどの直前に登場してわずか二年足らずで解散してしまったバンド、ジャックスの一員に始まり、リリイやイルカさん、高石ともやさんのナターシャセブン、数々のアーテイストのプロデユースやアレンジで活躍された人。80年に自動車事故でなくなってしまいました。
彼がなくなる直前に残したたった一枚のソロアルバム「DOG’S MAP&CAT’S MAP」が復刻されるんですね。その原稿。生前お付き合いがあったとか何度もインタビューしていたというわけでもないんで、僕で良いのかなと思ったんですが、それも流れですからね。関係者の話を聞いたりしてました。
そのアルバムをプロデユ―スしたのが、今年他界してしまったCM音楽のプロデユーサー、大森昭男さんなんです。ご存じないですよねえ。73年の大瀧詠一さんの「サイダー73」を皮切りに一連のサイダーCMや70年代の資生堂の一連のCMソング、80年代のパルコや西武のCMソングを制作した大プロデユーサー。
大瀧さんだけじゃないんですよ。達郎さんや細野さん、鈴木慶一さん、糸井重里や矢野顕子さん、井上鑑さん、まだほとんど無名だった時代に起用しているプロデユーサー。CMソングを通じてJ-POPの流れを作ったLEGENDです。
彼がCMソング以外でプロデユースした数少ないアルバム。僕は10年以上前に「みんなCMソングを歌っていた~大森昭男ともうひとつのJ-POP」という本を書いてるんで、僕のところに回ってきたと言っていいでしょう。
大森さんの会社だったONアソシエイツのスタッフや木田さんの所属プロダクションの社長さんの証言を交えて書こうと思います。これも縁ということでしょうからね。そう、昨日、書いた森田童子さんの曲も手掛けてますね。
上條恒彦と六文銭の「出発の歌」やチューリップの「魔法の黄色い靴」、かぐや姫の「神田川」、拓郎さんの「ルームライト」とか名曲ががたくさん。もし、不幸がなかったら、瀬尾さんのような存在になっていたことは間違いないでしょう。
芸大出身ですからね。坂本龍一さんとも同時代。でも、違う生き方になったんだろうなあとか、いろんなことを想像しながら取材テープを聞いてました。明日は原稿ですね。お天気大変そうです。SHISHAMOの川崎等々力競技場・里帰りライブは大丈夫でしょうか。
若い頃だったら多少の大雨は「伝説に立ち会う」みたいな気分で出かけたんでしょうけど、もうそういう年じゃないなあと自覚してます。自重、自嘲、自粛、無宿。この間と同じだ。でも、なんで無宿になってしまうんだか自分でもよくわかりません(笑)。
拳銃無宿というテレビ番組がありましたけどね。誰だっけ。ステイーブ・マックイーンだ。「大脱走」ね。刑務所の壁にボールを投げつける一人キャッチボールのシーンが妙に良かったです、って話がそれました(笑)。
曲。何でしょうね。ソロアルバムからと言っても誰も知らない。かぐや姫の「神田川」のアレンジが木田さんだった、というのを再認識しました。明日の大雨で反乱したりすることのないように願ってます。「神田川」を。じゃ、おやすみなさい。