懐かしいでしょう、って言ったら失礼か。今も歌ってますからね。79年の代表曲「きみの朝」が大ヒットしました。その前、初期のアルバムが3枚が「Early Days」というボックスセットになる。そのブックレットにつけるというインタビューでした。
久々という次元じゃないですね。40年近かった。70年代の終わりは、ちょうど放送作家から雑誌の編集者に変わろうとしていた時で、ラジオから離れつつあったんですね。そんな時期だったんで、ほんとに1,2回しか会っていなかったと思います。
メーカーの方には、そんなにお付き合いがあったわけじゃないですよ、とお伝えしたんですが、もう当時を知っている人も少なくなったんで、ということでやらせていただきました。それもあったんでしょうね。そうだったんですか、という話が色々ありました。
彼は1953年生まれ、65歳か。元々ヤングジャパンでしたからね。文化放送とは関係の深い事務所だったんで、番組を構成していた僕らも割と近かったんです。「きみの朝」がヒットする前の苦労話とか、岡本おさみさんが詞を書いた経緯とか、CBSソニーの中の立ち位置とか、面白かったです。
ソニーには同じ時期に浜田さんとか南佳孝さん、山口百恵さんもいましたからね。思いがけないところで接点があったりね。登場するスタッフも含めて知っている人ばっかり。そういう意味ではほとんど本音、という感じでした。もし、機会があれば。
先日、教えていただいた「昭和フォーク」の同録が送られてきました。見ましたよ、おそるおそる(笑)。ま、こういうことでしょうね。とは思いましたけど、ちゃんと作られてるなという感じでしたよ、って偉そうか(笑)。
ゲストが小室さんだったからでしょうね。歴史的なことや音楽的姿勢について触れないと成立しませんし。杉田二郎さんや堀内さんも自分のアマチャア時代を振り返ったような感じでしたし。
バンバン、高山厳さん、因幡晃さんも含めて全員がヤングジャパン。70年代から80年代にかけてユイ音楽工房とならぶ大手事務所。今も結束の固さを誇ってますね。岸田さんは、そこから離れて個人事務所でやってます。
でも、やっぱり当時の人たちが元気なのはうれしいですよね。先日も、80年代から90年代にかけて、ユイ音楽工房でBOO/WYや氷室さんのスタッフだったMさんがなくなって、明日、お通夜という連絡をいただきました。59歳でした。
そういう知らせが多くなりましたからねえ。一年一年、大切に、と柄にもなく思ったりするわけです。「きみの朝」の詞を書いた岡本おさみさんももういません。当時を知っていて、残っている人が語っていかないといけないんだろうなあ、と改めて思ったりしました。
ということで、岸田智史さん、今は敏志さん。デビュー曲「蒼い旅」。作詞は谷村新司さんです。そうだ、尾崎豊さんが岸田智史さんのファンだった、という話がありました。そういえば声がよく似てるんです。じゃ、おやすみなさい。