台湾です。今朝4時起きして中華航空に載って、そのまま大学を訪問。色んな話をして一緒に食事をして大学がやっているゲストハウスに泊めてもらってます。何だか不思議な気分です。まだどうなるか分かりませんが、少なくとも今まで経験してないことが起きているという感じでしょうか。
この間も書きましたけど、台湾は戒厳令の時代が長くって、その頃の日本の音楽は全く紹介されてない。拓郎さん、陽水さんはほぼ誰も知りません。ユーミンもそうですね。みゆきさんはこちらの人がカバーしていることもあって少し知られてますね。
戒厳令は49年から87年。88年に解除されてそこからテレビドラマがどっと入るようになった。当時、CATVの世界で有数の普及度だったんです。「SAY YES」とか「ラブストーリーは突然に」とかですね。
それ以降の日本の音楽に対しての関心の高さは、ご承知のとおりです。ですから世代が若い。70年代、80年代の音楽をリアルタイムで聞いた人がいないわけです。というような話をしたり、日本の音楽の歴史の中でCDというパッケージがどういう意味を持ってきたかとかね。
そういう話を台湾の大学関係者と話していること自体が不思議な感覚になったりしました。文化交流ですね。今、日本と台湾は国交がないわけですけど、文化交流がどこまでその垣根を超えていけるのか、ということでもあるんだろうと思います。
何で国交がないか。ご存知ですよね。72年まではあったわけですけど、田中角栄さんが日中国交を回復した。その時に「一つの中国」にこだわる北京政府の意を受けて台湾と断交しました。
戦前の50年間、日本にとってアジアで最もうまくいっていた統治国が台湾だった。その後に中国の内戦で敗れた国民党が台湾にやってきて戒厳令を敷いてしまった。戦前の歌謡曲が歌い継がれているのはその頃へのノスタルジーもある。
今、中国はその原則を世界に押し付けようとしてますよね。台湾と友好的な国に圧力をかけている。そういう中国はコンサート一つやるにも政府の許可がいる。検閲を通らないとコンサートの曲も自由にならない。
台湾はその逆。音楽や映画、文化的な自由を自分たちのアイデンテイテイにしようとしている。少しでもそのサポートなればなあ、と思ってるわけですが、どうなるでしょう。
台湾のテレビ、すごいです。チャンネルが150以上ある。さっき巨人・DNA戦を中継してました。メジャーリーグの大谷選手のいるエンジェルスの試合もやってました。情報公開の島、というんでしょうか。
というわけで、明日の夜には戻ります。また、この話ができるようになることを願いつつ、です。小田さんの「ラブストーリーは突然に」。小田さん、台湾のコンサートで現地の人がこの曲を日本語で歌った時、ステージで泣いたというエピソードがあります。じゃ、おやすみなさい。