・なくなってしまいましたね。70才。1月生まれなんで、学年は僕と同じでした。と言ってもご縁はあんまりなかったです。今までに三回しかインタビューしてないと思いますね。直近では、NACK5の坂崎さんの番組「Kトラ」の「検証!中津川フォークジャンボリー」という特番を作った時だったと思います。もう15年以上前でしょう。
・ずっと聞いてきたわけでも頻繁にお会いしたわけでもないんで追悼する資格があるとは思わないんですが、どうにも悲しい。何ででしょうね。「不滅の男」とか言っていたからでしょうか。結局、そうなるんだ、というような辛さでしょうか。
・何でご縁がなかったのかなあって自分で考えたりするんですね。もっとちゃんと話を聞いておけば良かったなあとか。ロックでしたよねえ。彼のようなサブカル色を失わないままキャリアを重ねた人はほんとに少なかったわけですし。
・しかもインデイーズになってましたからね。こちらから積極的に関わらないと機会が持てない。そういう接点が持ちにくかったということなのかなとか。つまり、僕の仕事の仕方が、業界的で人任せだったということなのかもしれませんね。
・最初に見たのはお茶の水の日仏会館だったと思いますよ。ステージにあぐらを組んでお香を焚いていたんじゃなかったかな。ヒッピーっぽかった記憶があります。だから余計悲しいのかな。僕が、というか僕らが失ってしまったものをずっと持ち続けている人だと思ってました。名前を耳にするだけでどこか安心するという感じでしょうか。
・何だか言い訳っぽい。醜い自己弁護。こうして同時代の体現者のような存在がどんどん居なくなって行く。仕方のないことなんでしょうけど、切ない。だからと言って、何がが出来るわけでもないですし。淡々と受け入れて行くしかないんでしょう。
・昔、渋谷の明治通り沿いの地下でカレー屋さんをやってました。そこでインタビューした覚えはありますね。普段ラジオの収録で使っているスタジオがあの近辺なんで、そこを通るたびに思い出したりします。今度通る時は合掌ですね。
・さっき帰る時、久々の星空でした。人は死ぬとお星様になるんだよ、みたいな気分でした。晩秋。ご冥福をお祈りします。曲ですね。最近の曲は知らないんで恐縮ですが、「夜汽車のブルースを」を。じゃ、お休みなさい。