なくなったのは21日なんで、遅ればせながら、ということになります。日曜日に共同通信から追悼文の依頼があって、今日書きました。早ければ明日から地方紙で掲載されると思います。
昭和歌謡については、専門家というか、その頃のことを中心にお書きになっている方も多いんで、僕の出番はないだろうなと思っていましたから、謹んで書かせて頂きました。100行程度ですが、思ったことは書けたかなと思います。
僕の中の平尾さんは、やっぱりロカビリー三人男なんですよ。あの中でも、際立っていたのが音楽のセンスというんでしょうか。ほとんどの人がプレスリーやポールアンカ、ニールセダカらのカバーを歌っていたのに対して、平尾さんは、オリジナルを歌ってました。
「星は何でも知っている」とか「ミヨちゃん」とかね。「おてもやん」なんかのロックアレンジも歌ってましたね。しかも歌がうまかった。エモーショナルだった。ロックンだけど、甘ったるくて60年代ポップスみたいでした。
作曲家として意識したのは、布施明さんの「おもいで」と「霧の摩周湖」ですね。ドラマテイック。身体で歌う歌謡曲。ポールアンカみたいな歌謡曲だと思いました。元歌手ですからね。歌って気持ち良い。しかも、泥臭くない。
彼が書いた曲で一番好きなのは、アン・ルイスの「グッバイ・マイ・ラブ」かな。「私の城下町」や「瀬戸の花嫁」も良い曲ですよね。あのつつましい上品さは演歌とはひと味違いますね。和洋折衷というのが彼の口癖だったようです。
話を聞きたかったなあ、というのが率直な感想ですね。だって、彼が高校の時に通っていたというジャズ学校は、かまやつひろしさんのお父様、テイーブ釜萢さんが設立した学校だったんですよ。そういう話は、平尾さんのことを書いた記事には出てきてません。
もっと残すべき話があったのに、遅かったなあと思います。芸能界ですからねえ。そういう話にならない。空しさもありますね。洋楽から日本の歌へ。僕の中の「歌謡曲とは何か」という一つの答えが平尾さんでした。合掌です。
地方紙、何紙くらい載るんでしょうね。去年、今年とみゆきさんの映画で地方紙キャンペーンをやってから地方紙に対しての考えが変わりました。地方紙健在。地方紙あなどれずです。もし掲載に気づかれましたら。
そう、地方紙と言えば、もう何年もこのブログに近況を書いてくれる女性が、彼女の住んでいる地方の地方紙が主宰する文芸コンテストで大賞を受賞されたんだそうです。報告ありがとうございました。そして、おめでとうございました。もし、文章のお悩みあれば、何なりと(笑)。
というわけで、曲です。平尾さんの曲でしょうね。「グッバイ・マイ・ラブ」かな「霧の摩周湖」かな。やっぱり、アメリカンポップス少年としては「グッバイ・マイ・ラブ」ですね。じゃ、お休みなさい。