という集まりがあったんですよ。都立三鷹高校。1965年卒。年ですよねえ。古希。わざわざ言われなくても年ですよ。ええ、どうせ、年ですよ(笑)。同期会。その年に卒業した学年全体の集まり。くどいか。60人くらい集まったのかな。まあ、みんな年でしたって、これもくどいね(笑)。
学年ですからね。中には同じクラスになったことのない人もいるわけで、そうなると、誰が誰だか分かりません。一度でも一緒になったことのある人はしばらくすると思い出しますね。お互いの顔がその頃になってくるんでしょう。そうそう、そうだった、という感じになります。
幹事さんが、卒業文集とか、個人の写真を集めてスライドを作ってくれてたんで結構感傷的になりましたよ。若かったなあ、という次元を飛び越してます。自分と思えない。中には、なくなってしまった人とか、入院してしまって来られないとう人もいたりして、そのことが余計感慨深くしているというのもありました。
高校時代、楽しかったですからね。今も、しょっちゅう夢に出てくる。校舎の渡り廊下とか、校庭とか、体育館とかね。授業に遅れていって教室が分からない、というのが多いかもしれません。高校だけじゃないか。大学が舞台でそういう夢もありますね。所詮、はぐれ者なんです(笑)。
「アメリカングラフティ」という70年代の映画がありましたよね。あれはアメリカの古き良き時代が背景でした。1962年だったんじゃないかな。何で62年だったかは理由があるんです。ベトナム戦争が激化する前、ケネデイ大統領の暗殺の前、ビートルズがイギリスから上陸する前という時代だったこと。
アメリカンポップスの甘酸っぱい青春がそのまま日常だった時代の最後の年。僕らの高校時代もそんな時代でありました。具体的に言うと、受験戦争、学園闘争の前、サブカル・アングラの前、テレビの青春ドラマのような学園生活が残っていた時代ですよ。
集まった場所は吉祥寺。高校が三鷹ですからね。通学も吉祥寺からだったんで、他の場所はありえません。今みたいに賑やかな街ではありませんでしたけど。駅前には去年なくなった象のハナ子さんの銅像も出来てました。僕らと同い年だったんですね。
そう、青春ドラマみたいなシーン、ありましたよ。当時、振られた女の子が来てたりして、また冷たくされてしまいました(笑)。愛想笑いくらいしてくれれば良いのに、と思いましたが、どうなんでしょうね。当時、付き合っていたという噂のあった他の男子には満面の笑みでありました(笑)。
いい話でしょ、青春の傷は癒えない、ってか(笑)。次は、いつなんでしょうね。会える時には会っておかないと、という年齢になってます。そうだ、場所は「カフェ&ウエデイング」というお店でした。結婚式のパーテイ用の会場。笑えるでしょう。古希もおめでたい、という、幹事さんの粋なはからい。でも、店の雰囲気にあっていたかどうかは微妙でありました(笑)。
というわけで、曲ですね。18才の頃。福山雅治さん「18~eighteen」。全部が初めてだった街。My Home Townは吉祥寺かな。初デートは井の頭公園でした(笑)。みんな元気で。象のハナ子さんの分も生きましょう。そのうち、鼻が長くなるでしょう。もう長いか(笑)。鼻の下が長くなるうちが花です(笑)。じゃ、お休みなさい。