昨日と今日ですね。25周年の東京ドーム。人、入ってましたねえ。ステージの裏側にまでお客さんがいた。去年の氷室さんのドームを思い出しました。やっぱり25年という区切りなんでしょうね。しかも、ライブ自体が久々、2014年の国立競技場以来じゃないでしょうか。
これはラルクに限らないんでしょうけど、やっぱりバンドは良いですね。そのメンバーでなければ出せない空気や存在感。もちろん音。この音の後にはこの音が出てくる。このヴォーカルにはこのギターの音が合う。ちょっと音を出しただけで会場を包み込んでしまう。これぞラルク、そして、お祭りならではのライブでした。
ステージも感慨深そうでした。客席もですね。僕も、でした(笑)。前回、前々回、15周年と20周年の東京ドームも見てるんですが、その時はそういう感じにはなりませんでしたから、やっぱり25年だからでしょう。
割と見てますね。97年の最初の東京ドームも見てるか。節目は大体見てますね。雑誌がありましたからね。「ロックンロール ニューズメーカー」。後に「ニューズメーカー」だけになりましたけど、あの雑誌のライブレポートとか書いてましたね。
そう、感慨深くなったのは、その雑誌の編集長のこともあったからでしょうね。彼はラルクに思い入れが強くって、雑誌が休刊になった後も、ファンクラブの仕事をしたりしてたんですね。
2012年、最初の国立競技場の後かな。ハワイでのファンクラブのツアーの取材に行っていて、なくなったんですよ。ハワイのホテルから転落してしまった。音楽雑誌の編集長の中では一番気心の知れた相手でした。
彼との仕事で忘れられないのが、2001年にラルクが活動休止したことがありましたよね。その活動再開の2003年の代々木の7日間ライブの時かな。そのレポートを「ニューズメーカー」に書いたんです。
それが彼の気に入ってくれてインタビューすることになったんですね。でも、僕はその頃、GLAYのことを書くことが多かった。「夢の絆」という単行本も出た時ですね。それもあって、メンバーサイドから、「彼はGLAY色が強すぎる」というクレームが入ったんですよ。
でも、その編集長は、いや、今は彼のような人と組んでみたい、と突っ張ってインタビューをやったんですが、結局、原稿がボツになった。彼が自分で再インタビューをしてました。
音楽雑誌で原稿がボツになったのはその時だけですね。彼は謝ってましたけど、予想もされたことですし、気にもしませんでした。その後、しばらくたってhydeさんのインタビューとかもありましたからね。良い思い出となってます。
一つのバンドにまつわる編集者との思い出。まだあるな。名古屋のビジネスホテルで火災に遭ったことがあるんですけど、あれはラルクの名古屋ドームの時でした。何で僕一人だったんだろうって、今頃思ってる(笑)。
きっと雑誌に体力がなくなってきて取材経費を節約し始めていたからかもしれません。こんなに雑誌が不調だと、もう、そういうドラマも生まれないんでしょうね。この間ハワイに行った時も、彼が転落して命を落としたホテルの前で合掌してきました。
25年ですよ。GLAYは再来年か。ラルクとGLAY、どちらも時代を作った素晴らしいバンド、それぞれ個性が違っているのが素敵だなと思ってました。というわけで、なくなった友人を思い出しながらのライブでした。曲ですね。99年の傑作アルバム「ark」「ray」と二枚のアルバムの中の「ark」の方に入ってました。「Pieces」を。じゃ、お休みなさい。